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おれの指示で
是久妙
夫の死後、気が抜けてぼんやりし、なにも手がつかない日々を送っておりました。
そんなある日、菊の春苗が届きました。「国華園」に夫が注文していたのです。
箱を開けると、その苗は、細くなよなよとしていて、春とはいえ、まだ寒い風にあてるのは、ちょっと、かわいそうな気がしました。
これは、どうしたらいいんだろう。
私は、これまで自分で菊を育てた経験はありません。夫から言われるままに、水やりを手伝ったり、肥料を施したりしていました。
だから、こんな弱々しい細い苗を育てる自信はありません。加えて、大輪の花を咲かせることなど、至難のわざです。
でも枯らすわけにはいかないと思いました。
私は、途方に暮れました。
夫は生前、十五年ほど、盆栽の大輪作りに精出していました。
春は、親株から伸びた新芽を、苗床に挿して大輪の苗作りをします。
苗床に挿し芽したものは、二週間ほどで発根しますが、そのまま大輪には定着しないのです。三本仕立てにするには、小鉢、中鉢、定植鉢と段階的に移植しなければ、大輪の花を咲かせるための、しっかりした根作りができないからです。
液肥や、乾燥肥料の施し方は理解出来ましたが、なんといっても、難しいのは、三本仕立ての基礎を作る整枝の時期です。
一本の苗の芯をつみとり、わき芽を均等に伸ばして、分岐点が同じ角度になるように曲げます。元来、自然の状態で伸びようとする芽を、人工的に矯正するのですから、分岐点が裂けたり、折れたりして失敗します。
夫ならこんな時どうするだろう。
あいにく、夫の赴任先は、電波もメールも届きません。指示を受けたいけど、叶えられません。せめて、夫の節々の言葉を思い起こしながら、菊を育てようと思ったのです。
さて、三本仕立てが出来ると、追肥、水やり、病害虫の駆除と気が抜けません。
ちなみに、菊作りの愛好者が多くいて、菊友会を結成していました。
毎年、秋には菊花展を開催し、展示数は、四百鉢を超えることもありました。
夫は、菊友会の事務局を担当し、菊花展を楽しみに、菊作りに励んでいました。自分の菊はもちろんですが、会員の菊の管理も常に心掛け、噴霧器を担いで、病害虫の駆除に、駆け回っていました。
でも、第十八回の菊花展を終え、親株の管理をすませた矢先、夫は倒れたのです。
救急車で運ばれた病院のベットで、夫は、「来年は、おれの指図で、おまえ菊は作れるな。頼むぞ。」
「私が作ってみるから、心配せんでいいよ。菊のことは考えんで。」と、私は答えましたが、会話はそれっきりでした。そして、まもなく、夫はあの世へ・・・。
私は、夫の遺志を継ぐ思いで、菊作りを始めました。毎年、試行錯誤をくりかえしながら、七回目の春をむかえました。
最近、少し菊作りの妙味を、味わえるようになった気がします。夫の残した言葉が、最大の素因になっていることは確かです。
子どもを育てていくように、愛情と正しい知識をもとにした的確な判断で、手入れや、栽培管理をすることが大事だと思われます。
春のやわらかい日差しに、菊の冬芽も日々伸びています。苗作りももう間近です。