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お釈迦様の教え
この世のすがた
♠愛欲生活 やがて滅び行く人生
♠この身は地水火風から成る
♠苦しみ悩んで日を過ごす
♠この世には五つの悪がある
♠愛欲生活 やがて滅び行く人生

ここに人生にたとえた物語がある。ある人が、河の流れに舟を浮かべて下るとする。岸に立つ人が声をからして叫んだ。「楽しそうに流れを下ることをやめよ。下流には波が立ち、渦巻きがあり、鰐と恐ろしい夜叉との住む淵がある。そのままに下れば死ななければならない。《と。

このたとえで「河の流れ《とは、愛欲の生活をいい、「楽しそうに下る《とは、自分の身に執着することであり、「波立つ《とは、怒りと悩みの生活を表わし、「渦巻き《とは、欲の楽しみを示し、「鰐と恐ろしい夜叉の住む淵《とは、罪によって滅びる生活を指し、「岸に立つ人《とは、*仏をいうのである。

ここにもう一つのたとえがある。

ひとりの男が罪を犯して逃げた。追手が迫ってきたので、彼は絶体絶命になって、ふと足もとを見ると、古井戸があり、藤蔓が下がっている。彼はその藤蔓をつたって、井戸の中へ降りようとすると、下で毒蛇が口を開けて待っているのが見える。しかたなくその藤蔓を命の綱にして、宙にぶら下がっている。やがて、手が抜けそうに痛んでくる。そのうえ白黒二匹の鼠が現われて、その藤蔓をかじり始める。藤蔓がかみ切られたとき、下へ落ちて餌食にならなければならない。そのとき、ふと頭をあげて上を見ると、蜂の巣から蜂蜜の甘いしずくが一滴二滴と口の中へしたたり落ちてくる。すると、男は自分の危い立場を忘れて、うっとりとなるのである。

この比喩で、「ひとり《とは、ひとり生まれひとり死ぬ孤独の姿であり、「追手《や「毒蛇《は、この欲のもとになるおのれの身体のことであり、「古井戸の藤蔓《とは、人の命のことであり、「白黒二匹の鼠《とは、歳月を示し、「蜂蜜のしずく《とは、眼前の欲の楽しさのことである。

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♠この身は地水火風から成る

また、さらにもう一つのたとえを説こう。王が一つの箱に四匹の毒蛇を入れ、ひとりの男にその蛇を養うことを命じて、もし一匹の蛇でも怒らせれば、命を奪うと約束させる。男は王の命令を恐れて、蛇の箱を捨てて逃げ出す。

これを知った王は、五人の臣下に命じて、その後を追わせる。彼らは偽って彼に近づき、連れ帰ろうとする。男はこれを信じないで、ふたたび逃げて、とある村に入り、隠れ家を探す。

そのとき、空に声あって、この村は住む人もなく、そのうえ今夜、六人の賊が来て襲うであろうと告げる。彼は驚いて、ふたたびそこを逃げ出す。行く手に荒波を立てて激しく流れている河がある。渡るには容易でないが、こちら岸の危険を思って筏を作り、かろうじて河を渡ることを得、はじめて安らぎを得た。

「四匹の毒蛇の箱《とは地水火風の四大要素から成るこの身のことである。この身は、欲のもとであって、心の敵である。だから、彼はこの身を厭って逃げ出した。

「五人の男が偽って近づいた《とは、同じくこの身と心とを組み立てている五つの要素のことである。

「隠れ家《とは、人間の六つの感覚器官のことであり、「六人の賊《とは、この感覚器官に対する六つの対象のことである。このように、すべての官能の危いのを見て、さらに逃げ出し、「流れの強い河を見た《とは、煩悩の荒れ狂う生活のことである。

この深さの測り知れない煩悩の河に、教えの筏を浮かべて、安らかな彼の岸に達したのである。

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♠苦しみ悩んで日を過ごす

この世の人びとは、人情が薄く、親しみ愛することを知らない。しかも、つまらないことを争いあい、激しい悪と苦しみの中にあって、それぞれの仕事を勤めて、ようやく、その日を過ごしている。

立場の高下にかかわらず、富の多少にかかわらず、すべてみな金銭のことだけに苦しむ。なければないで苦しみ、あればあるで苦しみ、ひたすらに欲のために心を使って、安らかなときがない。

富める人は、田があれば田を憂え、家があれば家を憂え、すべて存在するものに執着して憂いを重ねる。あるいは災いにあい、困難に出会い、奪われ焼かれてなくなると、苦しみ悩んで命までも失うようになる。しかも死への道はひとりで歩み、だれもつき従う者はない。

貧しいものは、常に足らないことに苦しみ、家を欲しがり、田を欲しがり、この欲しい欲しいの思いに焼かれて、心身ともに疲れはててしまう。このために命を全うすることができずに、中途で死ぬようなこともある。

すべての世界が敵対するかのように見え、死出の旅路は、ただひとりだけで、はるか遠くに行かなければならない。

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♠この世には五つの悪がある

この世には五つの悪がある。一つには、あらゆる人から地に、這う虫に至るまで、すべてみな互いにいがみあい、強いものは弱いものを倒し、弱いものは強いものを欺き、互いに傷つけあい、いがみあっている。

二つには、親子、兄弟、夫婦、親族など、すべて、それぞれおのれの道がなく、守るところもない。ただ、おのれを中心にして欲をほしいままにし、互いに欺きあい、心と口とが別々になっていて誠がない。

三つには、だれも彼もみなよこしまな思いを抱き、みだらな思いに心をこがし、男女の間に道がなく、そのために、徒党を組んで争い戦い、常に非道を重ねている。

四つには、互いに善い行為をすることを考えず、ともに教えあって悪い行為をし、偽り、むだ口、悪口、二枚舌を使って、互いに傷つけあっている。ともに尊敬しあうことを知らないで、自分だけが尊い偉いものであるかのように考え、他人を傷つけて省みるところがない。

五つには、すべてのものは怠りなまけて、善い行為をすることさえ知らず、恩も知らず、義務も知らず、ただ欲のままに動いて、他人に迷惑をかけ、ついには恐ろしい罪を犯すようになる。

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仏教伝道協会刊『仏教聖典』より
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