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2011/8/13/・お盆の入り。


8月に入って、初盆会、棚行とうで忙しております。
そんなお盆の入りの今日、棚行に伺いました御宅のお孫さんに、素敵なご案内を頂きました。

二宮アクリル画教室

興味のある方は、ぜひ鑑賞して頂きたいと思います。

クラブの会員も募集しているそうなので、一人でも多く仲間入りしてほしいと思います。

2011/7/30/・坐禅体験・無ぅ~~


先日、杵築どーんとテレビの中川さんと、金星君が坐禅と写経の体験に来ました。

坐禅も写経も初めての体験だったらしく、緊張した様子でしたが、暑さのなか集中した時間を過ごして行かれました。

       

今回の来山は、KDTの企画で「暑い夏に涼をもとめて」ということで、お二人で体験に来られました。
近く放送されるそうですが、坐禅に興味を持って下さる方が増えればいいなぁ、と思っております。

2011/5/5/・号砲一発


耳をつんざかんばかりの強烈な号砲。
萩野流砲術流儀の演武が、第24回きつきお城まつりの開催を告げた。

震災以降、全国的に自粛の傾向があり観光・イベントなどは盛り上がりに欠けていますが、今年のお城まつりは盛大に開催されています。

そんな中、杵築高校ユネスコクラブの生徒30名ほどが「お城まつりから被災地へ願いを込めて…みんなでつなごう協力の輪」をスローガンに募金活動をされていました。

おまつりに訪れた多くの方が募金されていました。この善意が被災地へそして協力の輪が広がることを願っています。
被災者で希望される全戸に仮設住宅が準備され、8月(お盆)には入居出来るようにすると管総理が発表しました。まだまだ3ヶ月先…生活環境の改善を祈るばかりです。


2011/4/24/ Boys, be ambitious

Boys, be ambitious「少年よ、大志を抱け」 ウィリアム・スミス・クラークが札幌農学校1期生との別れの際に、贈ったとされる有名な言葉です。

皆さんも御存じのこの言葉、実は全文は「Boys, be ambitious like this old man」で「この老人のように、あなたたち若い人も野心的であれ」だったそうです。

3.11 東日本大震災以降どうでしょう。原発問題、震災孤児や老いて家族の支えを失くされた方々、苦悩に満ちた現実に直面し日々辛い思いで過ごしていることだろうと、私も心が痛みます。

子供やお年寄りの中には、まだまだ上を向いて志を抱きながら生活を送れない方たちもあることと思います。そんな中、被災者の男性とボランティアの女性が婚約されたという記事も目にしました。
ハードの面でもソフトの面でも着実に復興して行ってほしいと心から願うばかりです。
何にしても明るい話題は、嬉しいことです。

さて、参道脇の牡丹の花が、溢れんばかりの思いを伝えんがごとく美しく咲いたこの22日23日「春季無縁供養説教会」が開催されました。
今年は出雲市武志町 萬福寺住職 福場宗康師に布教においでて頂きいました。お話の中で宮沢賢治「雨ニモマケズ」の詩を引用され丁寧にお話し下さいました。

〔雨ニモマケズ〕
宮澤賢治
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

この「雨ニモマケズ」の (東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ 南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ 北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ)の精神。そして(ミンナニデクノボートヨバレ)の人物像は法華経の「常不軽菩薩品」に出てくる常不軽菩薩に由来しているとも言われています。

常不軽菩薩は常に他者を軽んずることなく「私はあなた方を敬愛いたします。なぜなら、きっとあなた方は仏になるのですから。」と礼拝し悟りを得られたと言われています。

常不軽菩薩のその姿を、訝しく思い中には怒り石を投げる者、杖で叩く者もあったと言われます。しかし最後までその姿を貫いた常不軽菩薩に宮沢賢治は引かれたのではないでしょうか。

東日本で苦しまれている方々を援けるボランティアはもちろん、日本中に常不軽菩薩の精神が根ずくことを願いたいです。
また23日には安住寺合掌会の総会も開催されました。合掌会の精神も常不軽菩薩に通ずるところです。

   

2011/4/9/花まつり(灌仏会)


昨日8日はお釈迦様の誕生日。仏教寺院では灌仏会、降誕会といって花御堂をもうけてお釈迦様のお生まれになった日を祝います。
安住寺でも花御堂を飾り、甘茶の接待をします。小雨の降る中でしたが小学校のお友達が、たくさんお参りしてくれました。

   

また同日午後2時より、杵築市仏教会主催「第15回花まつり公開講演会」が杵築市北浜の城下町会館にて開催されました。

今年は大分市の臨済宗南禅寺派・長福寺住職 宇都宮玄秀が「空っぽの幸せ」と題し講演頂きました。

2011/3/15/・東日本大震災・義援托鉢


『緊急告知』

東日本各地を襲った、大地震・巨大津波。被災され命を落とされた方、避難生活を強いられている方々にまずもって、心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。

個人的にもそうですが、多くの方々が、被災された方々に何かしてあげられないか。手を差し伸べてあげたい。とお思いのことと思います。

明日3月15日「東九州臨済宗青年僧の会」は、午前10時より大分市内を義援托鉢することとなりました。


多くの方々に、ご協力いただけますようにお願い申し上げます。
また托鉢は単発なものですが、当山で継続的に義援金を受け付け、「臨済宗青年僧の会」を通じて被災者に送りたいと考えております。ご理解ご協力お願いいたします。

2011/2/25/・県内一周駅伝


暖かい春の日差しが差し込める中、第53回県内一周大分合同駅伝競走大会の選手たちが、力強く杵築の街を駆け抜けました。
我が杵築市チームで、郷土入りしたのは主将の都甲秀幸選手と塚本征寛選手。中継所の県信北浜店前には、杵築市民の温かい応援を背に塚本選手が素晴らしい走りで入ってきました。


どの選手も郷土の誇りを胸に、精一杯走っているわけですが、精一杯走っった人で皆が知る人がいます。
それはメロスです。太宰治の『走れメロス』のその人です。彼はセリヌンティウスの待つ刑場にむかい走るさなか次のように言っています。「それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ」と。メロスはセリヌンティウスの確固たる友としての信頼を得て走り、友とディオニスとの約束を果たした。
作品に描かれているように、人の心は弱く、常に移ろいでいる。それでも信じ、信じられる強さも持ち合わせている。小さな信の積み重ねが、大きな確固たる信を気づくのでしょう。
信を得るように、実践的に生きることが難しいんですけどね。

さて、話の中に「南無三」と仏教用語が出てきます。南無三寶の略で、にわかに、失錯を感じた時にいう言葉で「しまった」と同じ意味ですが、本来は梵語Namah又はMamoで帰命、帰敬、頂禮の意で、仏・法・僧の三寶に帰依信頼することをいいます。
聖徳太子は十七条憲法の二条に
篤く三宝を敬え。三宝とは仏と法と僧となり、
則ち四生(ししょう)の終帰、万国の極宗(ごくしゅう)なり。
何れの世、何れの人かこの法を貴ばざる。
人はなはだ悪しきもの鮮(すく)なし、能く教うれば従う。
それ三宝に帰せずんば、何をもってか枉(まが)れるを直(ただ)さん。

とあります。聖徳太子も「人はなはだ悪しきもの鮮(すく)なし、能く教うれば従う。」と云われているように、人間もともと悪い人は少ないもので、仏の教えを良く学べば正しき道を生きていけるはずです。
「信じる」ことの大切さ、この上なしです。

2011/2/13/・杵築市 ひいなめぐり


立春を過ぎ幾文春の兆しを感じる日がありましたが、この連休寒の戻りで冷え込んでいます。

さて今年も杵築市内27か所で、「城下町杵築散策とひいなめぐり」が2月5日から3月6日の予定で開催されています。
連休の時間の合間をみて、ひいな鑑賞に行ってきました。

  
  

写真は養徳寺様の手作りびなです。100畳の本堂に所狭しと展示されています。
寺庭さんの手作りで、とても可愛らしいお雛様ばかり一度足を運んでほしいと思います。
ほかにも数か所まわりましたので紹介したいと思います。

2011/1/18/・大般若祈祷法要


新年を迎え「あっ」と言う間に二週間以上が過ぎてしまいました。光陰惜しむべしですね。
連日、寒い日が続き、裏の泉水も氷が張っていました。インフルエンザの流行話が聞こえてきました、体調管理に注意したいものです。



昨日17日は、1995年6434人の方がお亡くなりになった、阪神大震災から16年目の追悼の日です。
この17日、安住寺では例年の大般若祈祷法要が営まれます。ご随喜のお寺様と、120名のお参りの方と共に『大般若波羅蜜多経』を転読し、お勤めすることが出来ました。

『大般若波羅蜜多経』とは630年頃、玄奘(げんじょう)がインドより持ち帰った般若経典を訳したもので、600巻という膨大な経典です。
その600巻を転読し、玄奘三蔵和尚の遺徳を感謝するととも、社会の平和、国土の安全、家内安全等を祈り、今年一年無事に過ごせることを願うものです。



大勢のお参り、大変ありがとうございました。
また午後からは、初観音講がありました。

2010/12/31/・除夜


「除夜」とは12月31日即ち大晦日の夜のことで、又は「除夕」とも云い、「年の夜」「年越」とも称します。
除夜と言うのは一年を除く夜の意で、人々が夜を守って暮れゆく年を惜しむ。また悪鬼を駆除するとも言われています。
中国や日本でも、この夜先祖を祭り集まって飲食する。これを文歳ともいう。

また「年越蕎麦」を食べる風習がありますが、一般には蕎麦のように長く、長寿を保つことを願ってのことと言われますが、一説に金箔や金細工を扱う職人や商人が、大晦日の夜、蕎麦粉を撒いて金粉をかき集めたので、蕎麦を食べると金が集まるという縁起をかついだものとも言われているそうです。

 

安住寺のあります杵築市寺町筋のお寺でも、紅白歌合戦が終わったころから、各お寺一斉に「除夜の鐘」を打ち鳴らします。
除夜の鐘の数は108つと決まっていますが、では除夜の鐘を108つ撞くのはなぜでしょう。108は煩悩の数だといわれますが、いろいろ説があります。

煩悩の数は、眼・耳・鼻・舌・身・意の六根が、それぞれに好(よい)悪(わるい)平(どちらでもない)の3種があり六根×3=18となり、これに浄(きれい)染(きたない)の2種があ18×2=36となる。
さらに、現在・過去・未来の3つの時間が関わって、36×3=108となります。これが、108つの煩悩の数とする説。

そのほかには一年の十二か月に二十四節気を足し、二十四節気を更に三つに分けた七十二候を合わせて12+24+72=108という説。
あるいは、 四苦八苦を取り払うということで、「四4×苦9+八8×苦9」=108とする説もあります。
平成二十三年どうぞ良いお年をお迎えください。

2010/12/15/・師走(安住寺合掌会奉仕作業)


12月もあっと言う間に半分過ぎました。そろそろ暮れの準備、大掃除に追われるころではないでしょうか。

当山でも暮れの準備が忙しくなりますが、師走を迎える前に、安住寺合掌会による奉仕作業が行われました。

去る11月29日、阿部会長さんを始め28名の方のご協力により、本堂、開山堂、観音堂、位牌堂の隅々まで磨いて頂き、障子の張り替えも済ます事が出来ました。
大変ありがとうございました。皆様ご苦労様でした。

  
   

2010/11/26・水谷修氏(夜回り先生)講演


11月25日・木曜日 午後6時より国東市アクトくにさき(くにさき総合文化センター)に於いて、夜回り先生で知られる花園大学客員教授、水谷修氏の講演会が「第71回・花園大学公開講演会」として開催されました。
会場には地元の高校生、教員、父兄などたくさんの方が来場し、水谷先生のお話に耳を傾けました。

バブル崩壊後、大人社会で起きている歪が家庭にも入り込み、その攻撃的でいらいらした環境が、子供たちの心・世界をもくるわせてしまっている。そんな中、夜の世界に足を踏み入れ、薬物中毒になった子供達の苦しんでいく姿など、先生の経験をもととする内容の濃いお話でした。

最後に水谷先生いは、来場した子供たちに次のように語りかけました。

「子供達 君たちは一人ひとりが この宇宙にたった一つしかない 尊い尊い花の種
たった一つしかないんだから  誰と比べる必要もない 誰を真似る必要もない
君たちは自分の長い人生の中で その花の種を自分の力で咲かすんです 

君たちの花の種は 暖かい太陽の下 昼の世界で多くの大人や 多くの仲間から 優しさという糧をもらってしか咲かない

薬物などで亡くなっていった子供達 その子達の分の幸せの花を それぞれの人生の中で 自分の力で咲かせてください」

いただいた命の糸を繋ぎ、次世代へ繋いでいく。そして自らの優しさを、皆に与え、優しさにあふれた社会を目指そうと、お話を締めくくりました。

帰途、いろんなことに思いを巡らせながら車を走らせていますと、ラジオからフィギアスケートの荒川静香さんが、トリノオリンピックのエキシビションでBGMとして使った、ケルティック・ウーマンの「You raise me up」が流れてきました。
素晴らしい曲なので紹介します。

『You raise me up』
When I am down and, oh my soul, so weary
When troubles come and my heart burdened be
Then, I am still and wait here in the silence
Until you come and sit awhile with me

落ち込んで、心がすっかり元気を失っている時
困難に見舞われて 心がそれを重荷に感じている時
ここで動かずに、じっと黙って待っていよう
あなたが来てくれて 私の隣にそっと座ってくれるまで

You raise me up, so I can stand on mountains
You raise me up, walk on stormy seas
I am strong, when I am on your shoulders
You raise me up......To more than I can be

あなたがいてくれるから、私は高い山へも登っていける
あなたがいてくれるから、嵐の海を歩くことだってできる
あなたに支えられて、私は強くなれる
あなたに励まされて……私は、自分を越えることができる

There is no life-no life without its hunger
Each restless heart beats so imperfectly
But when you come and I am filled with wonder
Sometimes, I think I glimpse eternity

人生にはいつも 飢えがつきまとう
それぞれの不安な心の鼓動はとても不完全
それでもあなたがいてくれて、不思議な思いで充たされる時
私は 永遠を垣間見れたような思いになる

You raise me up, so I can stand on mountains
You raise me up, walk on stormy seas
I am strong, when I am on your shoulders
You raise me up......To more than I can be

あなたがいてくれるから、私は高い山へも登っていける
あなたがいてくれるから、嵐の海を歩くことだってできる
あなたに支えられて、私は強くなれる
あなたに励まされて……私は、自分を越えることができる

I am strong, when I am on your shoulders

あなたに支えられて、私は強くなれる。

歌詞・訳はこちらのページより引用させていただきました。http://tooh.exblog.jp/6781346/#top

臨済宗・東福寺の三門前でのケルティック・ウーマンによるコンサート。とても厳かで心安らぎます。ご覧ください。



調べていましたら、歌詞の中の「あなた」は、他の訳では「主」(神)となっているものもあるようで、私にとって「主」は何か考えました。

中峰明本(ちゅうほうみょうほん 1263~1323)は臨済宗楊岐派の人。この中峰和尚が書かれた「座右の銘」の最後に、「生死事大、光陰惜しむべし。無常迅速、時人を待たず。人身受け難し、今已に受く。仏法聞き難し、今已に聞く。此の身今生に向って度せずんば、更に何れの処に向ってか此の身を度せん。」とあります。

私にとっての「主」とは「仏法」であり、仏の教えを頂き感謝して生きることだと再確認しました。
そして、水谷先生の言われた「尊い尊い種」を咲かせるために、何か役に立てないかと・・・。

2010/11/09・残菊


9月9日は重陽の節句。旧暦では菊が咲く季節であることから菊の節句とも呼ばれる。

これ以降の菊を残菊と言って晩秋、初冬まで咲き残っていることをいいます。とはいえ気候の関係でしょうか、まだまだ綺麗に咲いています。
写真の菊は数日前のものですが、檀家の是久妙さんが育てられた菊です。今年は天候など条件が悪く、思うような作品にならなかったそうです。

  
   

是久さんが菊を育てるようになったのは、亡くなったご主人の影響だそうです。
今年8月に是久さんが代表を務めています、杵築「メダカ会」が発行した、会員の作品集『ふるさと今昔』に、そのおもいをつづっています。


「おれの指示で」
      是久妙
夫の死後、気が抜けてぼんやりし、なにも手がつかない日々を送っておりました。
そんなある日、菊の春苗が届きました。「国華園」に夫が注文していたのです。
箱を開けると、その苗は、細くなよなよとしていて、春とはいえ、まだ寒い風にあてるのは、ちょっと、かわいそうな気がしました。
これは、どうしたらいいんだろう。
私は、これまで自分で菊を育てた経験はありません。夫から言われるままに、水やりを手伝ったり、肥料を施したりしていました。
・・・全文を読む・・・

ご主人の遺志を受け継いで、毎年綺麗な菊を咲かせる。大切な心のこもった供養ではないでしょうか。

ー『ブッダの真理のことば』中村元訳ー
◎第四章・花にちなんで
うるわしく、あでやかに咲く花で、
しかも香りのあるものがあるように、善く説かれたことばも、
それを実行する人には、実りが有る。

上の句は『法句経』のことばですが。菊を育てるかのごとく、善を実行し美しい花、そして実りある日々が送れますように。

2010/11/01・歩行ラリー


昨日はあいにくの雨の中、第24回杵築市城下町健康歩行ラリー大会が開催されていました。この大会はよく雨にたたられているようですが、実行委員の中に雨男・雨女がいるのでしょうか。
家族連れ、友達、仲間で、楽しく過ごされたことと思います。
ところで歩くことは大切なことで、ある作家は悩みを解決する方法として、歩く・泣く・寝ると言っていましたが。。。
四国遍路に行かれる方もあるでしょう。

四国遍路の旅をされる方のあじろ笠に、同行二人(どうぎょうににん)と記し、弘法大師と共に安全に遍路ができますようにと祈願します。
弘法大師と共にというわけですが、遍路を思い立った自分と、歩いている自分の心身不二の二人旅とも言えるでしょう。

「二人行く一人はぬれぬ時雨哉」という禅問答に参じたことがあります。雨の中、一人は傘をさし、一人は濡れながら歩いているわけではありません。
上り坂、下り坂、まさか。人生山あり谷あり、悩み悔み苦しんで歩むのか、同じ道でも順逆を受け入れ歩むのか、心持ひとつでどうにでも変わります。「ぬれぬ時雨道」を歩む心が大切なのです。

くるしみと
くるしみの
おい立ちと
離脱と
くるしみの
滅尽に導く
八つの聖道

『発句経』友松圓諦著(一九一)より

以下八聖道
一、正見・正しい見解。正しい立場を持つこと。諸行を無常と見、諸法を無我と見る、しかも知識として理解するだけでなく自己自身の思想として、それに立脚して生活すること。正見は入門の見解であり最終の目的でもある。

二、正思・正しい思惟。正しい精神作用。仏陀の教えを正しく自ら思量し熟慮し、それがまったく自己の思想となるように努めること。

三、正語・正しい言葉。正思が意の作用であるのに対し、口の作用として、正語は正思から必然的に現れてくる言葉である。

四、正業・身体の起居動作が正しい教えに適うように振舞うこと。

五、正命・仏の教えに則った正しい生活。生活の内容は正思・正語・正業と心・口・意の三方面を統合して正見に適うようにする生活。

六、正精進・(正勤)正しい努力。仏の教えによる実生活の実践。

七、正念・専念して常に忘れないこと。常に正見を心に留めて忘れない。

八、正定・正しい心の統一。正定は正見を得るための手段である。

最近は『考えない練習』『悩まない練習』なんて本が出版されています。残念なことに、「考えていない・悩みのない」私は読んでいませんが、「くるしみと、くるしみいのおい立ちと、離脱とくるしみの滅尽に導く、八つの聖道」を実践することこそ考えない、悩まない近道かも。
「同行二人」信仰と共に歩む毎日。

2010/10/22・真実不虚


本日は月例の写経会でした。写経をするたびに思い出すことがあります。
南禅寺・中村文峰老師は毎朝起きますと、先ず内仏にあります母親の位牌に線香を供え、ねんごろに般若心経を唱えておりました。

ある時、老大師に亡き母との離別の因縁を伺ったことがあります。文峰老師の著書『禅語般若心経』に自ら記しておりますので、ここに引用させていただきます。



この修行僧の休日に、当方は法要に出頭する。四月二十六日は近所の寺院の法要に参列していると「母親危篤」という知らせが入った。特別に驚かなかった。かねて約束があったからである。

「あなたは手巾という水引きを締めて仏さまに差し上げた人である。私が危篤と聞いても帰ることはない。修行僧の育成や公式の約束は優先しなければならぬ。しかし葬儀には出席しないとご近所の人に言い訳ができませぬ。私と、あなたの肺の空気はつながっています。多くの人に迷惑をかけずに出席できる日があれば、その日にできるだけ大きな息をしなさい。そのとき私は息を引き取ります。逢った時が別れの日です。一日一日を大切に生きてください」と。

私は慌てなかった。次の日の朝、起きて大きな息をして「般若心経」を唱えた。「真実にして虚ならず」というところに来ると、実家から電話が入った。いま息を引き取った、と。

二十七日、兵庫県にて約束があったので、そこまで隠侍さんと一緒に行き、新幹線の駅で別れて、故郷に向かった。駅頭で隠侍さんに聞こえることもなくつぶやいた。

「君看よ双眼の色、語らざれば憂い無きに似たり」
(よく私の眼の中を覗き込んでみなさい。表面上は何の変化もないように見えるが、双眼の憂いの涙で一杯なのだ)

列車に乗り、座席で一人になると、やっと九十歳の母親の死の実感が込み上げてきた。
今でも『般若心経』の「能除一切苦、真実不虚」まで読むと、この日の光景が思い出されるのである。


「故に知る、般若波羅蜜多は、是れ大神呪なり、是れ大明呪なり、是れ無上呪なり、是れ無等等呪なり、能く一切の苦を除き、真実にして虚ならず」この一段を「総帰持明分」といい『般若心経』の総括であり、本質である。

近頃、同級生や同年代の方の親御さんのご葬儀に参列する事がありました。若くしての往生ゆえに、残された家族の悲しみは尽きないことと思います。しかし、日常お会いすれば変わらぬ笑顔で接してくださいます。「君看よ双眼の色、語らざれば憂い無きに似たり」語ることのできない悲しみや憂いを含んで生きることも、あるいは喜び愛おしさにあふれる日も。どんな一日でも、どんな一瞬でも「真実にして虚しからず」即今只今を生きる。是が禅の教えなんですね。

2010/09/28・第一回・杵築市仏教会交流グラウンドゴルフ大会


9月28日杵築市役所山香庁舎前多目的広場に於きまして、杵築市仏教会主催によりますグラウンドゴルフ大会が開催されました。

昨年までは、市内宮司の若宮ゲートボール場でゲートボール大会として開催していましたが、ゲートボール人口が減少したこと、グラウンドゴルフが盛んになったこと、そして30回の節目の大会となったことを契機にゲートボール大会を打ち切り、グラウンドゴルフ大会として新たにスタートしたものです。


この日は、前夜の雨の心配をよそに爽やかな秋晴れに恵まれ、各寺院の代表の選手の方々が清々しい汗を流されました。
安住寺からも住職を含む20名の選手が参加し、はつらつとプレーしていました。

   
   

2010/09/27・城下町きつき観月祭(杵築市)


25日夜に杵築市内の武家屋敷(市内中心部)を、行燈や竹灯籠約8千個で彩った「観月祭」が開催され、オブジェや催しを多くの方が楽しみました。


仏心を「月」なぞらえて教えを説いたり、次に挙げる和讃のように「月」が仏教に顔を出すことがよくあります。

三昧無礙の空ひろく、四智円明の月さえん(白隠禅師坐禅和讃)。たとえばよろずの水澄みて、真如の月の映るごと(観音和讃)。
残念ながらこの日は、雲がかかりお月さまを愛でることはできませんでした。この「城下町きつき観月祭」は、同級生のお父さんで、実行委員長の平田泰彦さんをはじめ、多くのボランティアの方によって開催されています。杵築を愛し活気づけようという慈愛に満ちた秋の祭りです。

吉野時代から室町時代にかけて臨済宗の黄金時代をきずき、後醍醐天皇をはじめ、多くの天皇に国師号を賜り「七朝の帝師」といわれた夢窓疎石が、足利尊氏の弟直義との問答を記録したものに『夢中問答』があります。
夢窓疎石はこの中で「真実の慈悲」とは何かを説いています。
慈悲には三種ある。
(1)衆生縁の慈悲
特定の人を愛し、利益を与えようとするもので、「愛見の大悲」(『維摩経』)といわれ、無意識に自己への利益を期待するもので、真実の慈悲とはいえない。
(2)法縁の慈悲
一切の物事は因縁の和合により生じたものであるから、もとより自性無しと観じ執着を離れ、起こす慈悲ゆえに衆生縁の慈悲よりも程度が高いが、無自性に堕ち「空」にとらわれた考えで、虚無の世界に堕ち、慈悲心を発動しないようになるおそれもあり、積極性にとぼしい。
(3)無縁の慈悲
無条件の慈しみで、一切平等に救う慈悲心。無縁とは縁がないことではなく、「縁」(相手をより好みすること)が無いことをいい、仏の大悲心といえる。なかなかできることではないが、理想的な慈悲心を描くことにより、心の進化・浄化が得られる。

「無縁の慈悲」こそ「真実の慈悲」で、夢窓疎石はこの慈悲を次のようにいう。
「無縁の慈悲と云うは、仏果に到りて後、本有性徳の慈悲あらわれて、化度の心をおこさざれ共、自然に衆生を度する事、月の衆生に影をうつすがごとし。
然らば即ち法を演ぶるに説・不説のへだてなく、人を度するに益・無益の相もなし。
是を真実の慈悲と名づく。」

(仏の慈悲、本当の慈悲は、仏性に根差した慈悲で、衆生を救おうと想わずとも、自然に衆生を救える。あたかも月が水面に映す影のように、仏の慈悲と衆生が相応じる。
この無縁の慈悲を備えれば、法を説こうが説くまいが自然に教化でき、姿そのものが、益・無益の相を超えた慈悲の姿である。これこそ真実の慈悲である。)

「月の衆生に影をうつすがごとし。」で「観月祭」に来場した多くの方に、実行委員、ボランティアの皆さんの無縁の慈悲がとどいたことでしょう。

   
   

2010/09/25・敬老会(安住寺合掌会主催)


9月23日、一昨日の夜中の雷雨がウソのような秋晴れの中、安住寺合掌会(阿部和歌子会長)主催の敬老会が100名近い参加のもと、楽しく和やかに開催されました。
安住寺敬老会は、壇信徒で70歳以上の皆様を、合掌会(婦人部会)の役員、お世話係の方々がご案内し、毎年この時期に行われています。

    
 
 

今年の敬老会は、フォークダンス、相撲甚句、腹話術、阿部会長の舞踊、カラオケ等々たくさんの催しがあり、参加された皆さんも大変喜んでいらっしゃいました。
最後は住職と、じゃんけんゲームをし運良く景品を手にした方もあります。また来年も、お元気な顔で皆さんが参加されますことをお祈りいたします。

2010/09/15・お知らせ。


第71回・花園大学公開講演会開催


画像をクリックすると拡大します。

来たる11月25日(木)「夜回り先生」で知られた、花園大学教授・水谷修氏の講演会を、アクトくにさき(くにさき総合文化センター)にて開催いたします。 『今、子供たちは・・・』の演題で講演予定。入場無料ですのでお誘い合わせのうえご来場ください。

2010/08/23.24・杵築少年剣道部夏合宿


23日24日の一泊二日、恒例の杵築少年剣道部の合宿が行われました。
今年は部員も倍に増え25名の生徒が参加し、残暑を吹き飛ばす元気、明るさで、楽しく二日間を過ごしました。

合宿の内容は、読経、坐禅、作務と禅寺の修行を体験。そして、稽古、素麺流し、花火等々盛りだくさんの内容をメリハリをつけて行いました。

  
       ☆般若心経をお唱えしました。      ☆5歳から中学生、父兄もみんなで坐禅体験。
   ☆上手に素麺つかめたかな?          ☆仲良く花火を楽しみました。
  ☆みんなでランニングに行きました。       ☆メーン!!強くなるぞ。

たくさんの子供が合宿に参加し、お寺に泊り、読経、坐禅、作務と禅の修行を体験しました。
子供たちが元気に明るく成長してくれることを願っています。

2010/08/15・終戦記念日


実にこの世においては、
怨みに報いるに怨みを以てしたならば、
ついに怨みの息(や)むことがない。
怨みをすててこそ息む。
これは永遠の真理である。

『ブッダの真理のことば』5 中村 元訳

第二次世界大戦終結後の昭和26年サンフランシスコ対日講和会議の席上、スリランカの故ジュニアス・リチャード・ジャヤワルデネ大統領(当時財務大臣)が法句経の一節を引いて、スリランカが日本への賠償請求権を放棄しました。
菅総理は日韓併合100年にあわせ、首相談話が閣議決定されましたが、今後どのようになっていくのでしょうか。

2010/08/14・お盆を迎える


お盆を迎え、故郷に帰省し、先祖のお墓に手を合わせる人も多いことでしょう。
或は、初盆の供養に参ることもあるでしょう。当山でも多くの方が墓参に来られ、墓前には沢山のお花お供えが上がっています。

大往生のおじいちゃん、おばあちゃんの初盆もあれば、最愛の夫や妻、我が子の供養をされる方もあるでしょう。多かれ少なかれ、大切な人をなくし喪失感と向き合っているはずです。
その悲しみ喪失感から立ち直る過程を、「喪の作業、グリーフ・ワーク、悲嘆のプロセスets」といい最初に使われたのはフロイト(1856-1939)の論文「喪とメランコリー」の中で、他多くの精神分析学者が示しています。
イギリスのジョン・ボウルビィの記した「喪の作業」では次の4つの段階で説明しています。

第1期(感情麻痺の時期)
ショックのあまりに、否認が起きる。実感がわかず、状況を鮮明に覚えている。
不意の衝撃に圧倒されないためのサバイバル反応である。

第2期(思慕と探索の時期)
信じられない思いや受け入れられない気持ちの中で、必死に対象を取り戻そうとする。

第3期(混乱と絶望の時期)
じきに否定できない現実に直面し、怒りと恨みが湧き起こる。
拷問のような悲嘆の嵐と戦いながら、喪った対象への愛着を確認する。

第4期(脱愛着と再起の時期)
あきらめのなかで現実を認め、愛着を心に内在化し、
人間の命のはかなさや無力を受け入れ、立ち直っていく。

お盆の時期に限らず、喪失の悲しみと対峙している方とお会いすることがあります。その気持を真に理解することは難しいかもしれません。しかし、一時でもその悲しみに寄り添い、共感しようとする気持を持つことが大切ではないでしょうか。

昨夜のNHK番組、もしも明日「家族が亡くなったら」の中で様々な葬儀のあり方が議論されていました。しかし、どれも新しい形での葬儀(お別れ)であって、仏式での葬儀は話題にされていませんでした。それだけ現在の仏式での葬儀が遺族の悲しみに寄り添っていないということなのでしょうか。

そういった一面もあるかもしれませんが、臨終を向かえ、枕経をあげ、葬儀、七日ごとのお参り、四十九日の法事、初盆、一周忌の法事、宗教者として遺族の方と共に時を過ごすことにより、心の再起に繋がるはずです。お参りに来る方も同様だと思います。形式も大切ですが、それ以上に心を大切に考えたいです。

俵万智さんの『サラダ記念日』にこんな詩があります。

「寒いね」と話しかければ
「寒いね」と答える人のいるあたたかさ

季節はずれの詩ですが、こう読んでみたらどうでしょう。
「暑いなー」っち話しかけちから
「暑いなー」っち答えちくれるしがおる。ありがてーなー。

真摯に共感の心を持って、日々努めたいものです。

2010/08/03・山門施食会法要


早朝から騒がしく蝉が鳴く真夏日のなか、当番地区のお世話人の方々のご協力により、当山の山門施食会法要を無事にお勤めすることが出来ました。暑い最中に有難うございました。

お盆に精霊棚を飾り、施食会(お施餓鬼)の法要を行うので、お盆とお施餓鬼を同じもののように思っていらっしゃる方がまだあるので、臨済禅・黄檗禅・公式ネットの年中行事「山門施餓鬼会」をここに引用し説明します。

     
--「山門施餓鬼会」--

盂蘭盆会(うらぼんえ)の当日に行なわれる施餓鬼をいうため、盂蘭盆会、大施餓鬼会ともいいますが、ここで、盂蘭盆会と施餓鬼会は本来、別法要であることを知っておかねばなりません。

盂蘭盆会の起源は、『仏説盂蘭盆経』にあります。目連尊者(もくれんそんじゃ)が、餓鬼道におちた母を救い出すためにお釈迦様に教えを乞いました。するとお釈迦様は、7月15日の自恣(じし)の日 (夏安居(げあんご)の解散日)にあらゆる僧侶に供養を施せば、必ずその功徳によって母を救え、また他の亡者にも利益が大きいというお示しを与えられ、目連尊者がその通りにされたことに起源を発するものです。

施餓鬼はこの盂蘭盆とよく似ていますが、因縁は全く異なります。それは、同じくお釈迦様の弟子、阿難尊者(あなんそんじゃ)が禅定(ぜんじょう)に入られているとき、餓鬼が現われて尊者にいうに、「尊者は三日後に命尽き、わが餓鬼道に生まれ変わる。それを免れたいのなら、無量無辺の餓鬼と百千の婆羅門(ばらもん)に無量の飲食を施し、また我が為に三宝を供養したならば、必ず自他ともに、天上にのぼることができるであろう」と。お釈迦様にその方法をお尋ねしたところ、お釈迦様は施餓鬼の法を授け、阿難尊者が初めてその利益を受けられたことを、数説あるうちでも代表的な起源としています。つまり、施餓鬼会は、盂蘭盆会のように日付が限定されていないのです。

しかしながら、いつの時代にか、この二つの法要が似ていることなどから、違いが曖昧になり、盂蘭盆会と施餓鬼会を混同するようになったと思われます。また、古くからの土着信仰としてのお盆の先祖供養とも交わってしまったのでありましょう。

--以上「臨黄ネット」より--

昨年より「施餓鬼会」を改め「施食会」とし法要をお勤めしますが、元来は「施餓鬼」のことで曹洞宗で主に「施食会」と称している。
今年の法要には、8時と11時の二回の法要に130名以上の方にお参りを頂きました。

「施食会」
    
     

2010/08/01・日々是道場


先月24・25日には夏の天神祭りも終わり、お盆の月となりました。

法事やお勤めの席で、色々な方にお話を伺うことができ、日々これ修行の実践道場であります。
本日は、真宗大谷派(東本願寺)日豊教区同朋の会推連協副会長の方と同席する機会をいただき、有意義なお話を伺うことができました。

東本願寺派のお寺さんでも、今日のお寺のあり方、葬儀のあり方、門徒(檀家)と檀那寺のあり方、布教のあり方等々課題が沢山あり、様々な取り組みをされていると伺いました。

葬儀のあり方では、大分市荘の寺院、葬儀業者、在家門徒の代表者が合同の話し合いを持ち、祭壇の中央は「南無阿弥陀仏」本尊その前に法名を置く。
遺影等は左右の空いたスペースに置き、弔電は葬儀終了し導師が退堂してから拝読するように徹底し、「阿弥陀仏」の本願をいただくことを中心に葬儀を進行するように徹底し、お寺さんが葬儀業者のピエロにならないようにと、式のあり方を詳しく説明した手引きを在家門徒の皆さん全戸に配布している実態をお話下さった。

また、宗門内で門徒(檀家)さんの勉強会も盛んで、ある勉強会に参加され御自身が日々の生活のなかで、お孫さんを膝に、内仏に向って「南無阿弥陀仏」と念じる。また、外出から帰って玄関に入る時に「南無阿弥陀仏」と念じる。しかし、まだまだ本物になったような気がしないんです。と発言されると、同席の85歳の男性が「そりゃそうじゃろう。私なんか、早くに嫁さんを亡くしこの年になって、100歳間近の義理のじいさんのオシメヲ換える毎日。自分が世話をして欲しいぐらいなのに、惨めで辛い。でもそんな時こそ、阿弥陀仏の本願力に任せ「南無阿弥陀仏」と念じるんですよ」と話して下さり頭の下がる思いがしたと、お話下さいました。

『蓮如上人御一代記聞書』のなかの一節。
「仏法には、世間のひまを闕きてきくべし。
世間のひまをあけて、法を聞くべきように思う事、あさましきことなり。
仏法には、明日と云う事はあるまじき」
由の仰せに候う。

「仏法は、世事に費やす時間をさいて聞くべきである。
世事の時間があいたら聞くものだと思うことは、情けないことである。
仏法聴聞は明日にするということがあってはならない。」 とこのように仰せになっている。

85歳の男性は世事の真っ只中、介護の真っ只中に仏法の光が輝いていたのでしょう。
しかし老老介護の現実は当事者にならないと本当の辛さは測り知れないものを感じます。

最後に日豊教区同朋の会推連協副会長さんは「あんたは、私の子供と同い年、まだまだ人生ではヒヨコのうち。それでも仏法を伝える大切な立場にあるから、皆が手を合わせ、上に座っていただいているのだから、精々精進して下さいよ」と励ましていただきました。
本当にありがたいことです。

財産や世間法の相続はできても、 宗旨、宗派を超え、仏法を伝えていくということは大変なことです。
無上甚深微妙の法は、
百千万劫にも逢い遇ううこと難し、
我れ今、見聞し受持することを得たり、
願わくは如来真実の義を解したてまつらん。

強い意志を持って、手を携えて共に歩めますように。

2010/07/22・カブトムシ


梅雨も明け毎日暑い日が続きます。エアコンが飛ぶように売れ取り付け工事が間に合わないとか・・・

    

春先に裏山で、古くなった椎茸の榾木にいたカブトムシの幼虫を、衣装ケースに移していたら元気に孵化し、40匹近くが毎夜騒がしく活動しています。
カブトムシには立派な角と甲(よろい)があり、子供たちに人気。ところで私たちもカブトムシみたいなものですよね。学歴や肩書きその上、華美な装飾やブランドの衣装等々。これでもかというように角や甲を纏っています。その上、テレビ等のメディアでは更に裕福で学歴肩書きの良いことを善しとするような情報を発信しています。

庶民感覚では、現実とその間で嫉妬・憎しみ・怒り・羨望の思いに悩まされることもある。どのように思いを整え生活していかなければならないのでしょう。

[法句経・九に次のようにあります。]
心の汚れを捨ててない人が、
黄褐色の法衣をまとって
自制しようとしないならば、
法衣にはふさわしくない。

この言葉は、法衣と袈裟を身に纏う、私たちにこそ大切な言葉であります。
袈裟はサンスクリット語のカシャーヤ(Kasaya)を音訳したもで「黄褐色の、赤褐色の」という意味で、出家をするとこれを纏う。またぼろ布を縫い合わせて作っていたため糞掃衣(ふんぞうえ)とも言われる。

心の汚れを捨て自制する心を大切に、本来は糞掃衣であったことを肝に銘じておかなければならないですね。
現在の私たちに足りないものは、「不足」が足りないといわれますが、物に溢れ溢れて溺れる寸前。心の汚れも、学歴・肩書きといった、角や甲も一切捨ててらく~に生きたいものです。

2010/07/08・七夕に願う


昨日は七夕。七夕飾りをし願い事をされた方多いのではないでしょうか。
お寺でも七夕飾りを作りました。

衆生無辺誓願度
(生命あるものは限りないけれど、誓ってみちびかんことを願う。)

煩悩無尽誓願断
(わずらいや悩みは、尽くることなけれども、誓って断ちきらんことを願う。)

法門無量誓願学
(ことわりのかずは、はかりなけれども、誓って学ばんことを願う。)

仏道無上誓願成
(さとりの道ははるかなれども、誓って成しとげんことを願う。)

合掌

2010/07/06・托鉢に思うこと


大分県は古くは豊後仏国と言われ大変に信仰の盛んな地方であります。
私の修行しました岐阜県も豊後仏国にまけない信仰の篤い地域でした。

その修行の托鉢で、僅かに一度だけこんなことがありました。
一軒一軒の玄関先で乞食する軒鉢という托鉢をしたときのことです。
「ホ~ホ~~(法雨・仏法の雨を降らす)」と玄関先に立っていますと中から
「うるせぇー糞坊主!帰れ!!」と怒鳴られたことがあります。
私はビックリした上、何故怒鳴られなきゃいけないんだと、浅はかな思いを起こしたことを覚えています。まだまだ托鉢三昧になっていなかったんですね。


静岡県三島市にある龍沢寺におりました中川宗渕老師は、托鉢途中に小さな女の子が道端の石ころを拾い老師に差し出したところ、合掌し丁寧に頂いたと伺ったことがあります。托鉢三昧、三輪空寂の境涯がうかがえます。

耕田」という有名な話があります。
かのようにわたしは聞いた ある時、世尊は、マガタ(摩掲陀)の国の南山なるエーカサーラー(一葦)という婆羅門村に住しておられた。その時、耕田と称されるバーラドヴァージャ(婆羅堕婆闍)姓の婆羅門は、種まきの時期にあたって、五百の鋤を準備していた。
そこに、世尊は、早朝に、衣を着け、鉢を執って、耕田なるバーラドヴァージャ姓の婆羅門の仕事場に現れた。その時、その婆羅門はちょうど人々に食物の分配をしているところであった。だから、世尊は、ちょうどその食物の分配のところにいたって、その傍らに立ったわけである。
耕田なるバーラドヴァージャ婆羅門は、世尊がそこに托鉢のために立ちたまえるをみた。見て、彼は世尊にいった。
「沙門よ、われは、田を耕し、種を蒔いて、食を得る。沙門よ、汝もまた、田を耕し、種を蒔いて、食を得るがよろしい」
「婆羅門よ、われも耕し、種を蒔く。耕し、種を蒔いて、食を得ている」
「だが、沙門よ、わたしどもは、まだ誰も、あなたが田を耕したり、牛を追ったりするところを見たものはない。それなのに、いったい、あなたはどうして、自分も耕し、種を蒔いて、食を得ているというのであるか」
その時、耕田なるバーラドヴァージャ婆羅門は、また、偈をもって世尊にもうしていった。
「汝は農夫であるというも  われらは汝の耕すを見たものはいない
われは汝に問う、語るがよい  いかにしてわれら汝の耕すを知らん」
世尊はいった。
「信はわが蒔く種子にして  智慧はわが耕す鋤である
身口意において悪業をのぞくは  わが田における草とりである
精進はわがひく牛にして  行いて退くことなく
おこないて悲しむことなく  われを安らけき境地に運ぶ
かくのごときわが耕耘にして  その収穫を甘露の果となす
人はかかる耕耘をおこないて 一切の苦を解脱するのである」

放送ライブラリー『釈尊のことば』より引用

先日の「社会を明るくする運動」協賛托鉢で喜捨をして下さった方はごく僅か。多くの方が不思議そうに見ているばかり。托鉢に馴染んでいないこともありますが、少し残念。日本における寄付行為はアメリカなどに比べ10分の1以下と言われますが、(税制の問題が大きく関係)私たちの托鉢の姿を見て違ったかたちのでの喜捨が生まれることを願っております。
私自身は耕田坊主ですので近頃収穫した糧を見ていただきましょう。

2010/07/05 今月は「社会を明るくする運動」


去る7月1日私も所属します東九州臨済宗青年僧の会(宮崎薫郎会長)が、法務省が主唱する「社会を明るくする運動」の賛同托鉢を、県内の若手住職・副住職と大分市内を巡り集められた浄財を、大分更生保護協会に寄付いたしました。(贈呈写真は過去のもの)

   

そもそも“社会を明るくする運動”の始まりは
「銀座フェアー」
 昭和24年7月1日、「犯罪をした者の改善及び更生を助け……、もって、社会を保護し、個人および公共の福祉を増進する」ことを目的とした「犯罪者予防更生法」という更生保護制度の基本法が施行されました。これによって更生保護制度が新しくスタートしましたが、戦後の荒廃した中にあって、かねてから街にあふれた子供たちの将来を危惧していた東京・銀座の商店街の有志が、この法律の思想に共鳴し、保護少年のためのサマースクールの開設資金の造成などを目的に、自発的に同年7月13日から1週間にわたって「犯罪者予防更生法実施記念フェアー(銀座フェアー)」を開催しました。これがきっかけだそうです。
(法務省「社会を明るくする運動」より抜粋。) 活動を詳しく知りたい方は法務省HPまで

毎年「社会を明るくする運動に」協賛し四年ほど托鉢させていただいていますが、どれほど一般の方に趣旨が伝わっているか疑問もあります。
杵築・太田地区更生保護連絡協議会でも、今月は「社会を明るくする運動」を実施しています。
今回60回を迎える「杵築・太田地区更生保護連絡協議会」の会報をご覧ください。

杵築太田地区更生保護連絡協議会会報

2010/07/01 あじさい七変化


毎日じめじめ蒸し暑い日が続いています。
どうかすると気分も滅入ってしまいます。そんな中でも境内に咲くあじさいは美しく花開いています。

洋花のように思っていましたが原産は意外に日本だそうで、ヨーロッパに渡り改良されたそうです。
あじさいの花言葉は花色が変化することから「移り気」だとか「高慢」のような悪い印象の言葉がありますが、別に花が沢山集まっているところから「一家団欒」「家族の結びつき」とも言われます。どちらの花言葉を思い眺めるのがいいかな~。
花の少ないこの時期に目を楽しませてくれる有難い存在です。





俳句を一句紹介します。

「あぢさゐや生き残るもの喪に服し」 鈴木真砂女

鈴木真砂女さんは千葉県鴨川の旅館に生まれ、22歳で結婚その後離別、姉の死により義兄と再婚、そして不倫の波乱万丈の人生を送り、50歳にして銀座に小料理屋「卯波」開いた。彼女の人生を瀬戸内寂聴さんも小説にしている。この句はその不倫相手が亡くなったときの句でしょうか。

誰かを想いあじさいを眺めてる方もあることでしょう。

2010/06/18 「大麦小麦二升五合」


いつだったか老師の御伴で、山梨県立美術館所蔵のジャン=フランソワ・ミレー 「落穂拾い(夏)」 を鑑賞したことがある。
フランスでは7・8月に麦の収穫をするので「落穂拾い(夏)」としてあるそうです。
市内本庄地区の麦畑でも実った麦の刈り取り風景がみられました。大型の刈り取り機での作業であっと言う間に終わり、落穂ひろいの光景は見られません。

            
 ジャン=フランソワ・ミレー 「落穂拾い(夏)」 

麦が出てくるこんな話があります。
あるところに、
「おおむぎこむぎにしょ~ごんご~(大麦小麦二升五合)」
「おおむぎこむぎにしょ~ごんご~」
と唱えて、たちどころに病を治すというお婆さんがおりました。
ある時、旅の僧侶がお婆さんのお経を聞き、それは『金剛経』の一文「應無所住而生其心」の間違いであろうと教え、以後お婆さんも間違えないように「おうむしょじゅうにしょうごしん」と唱えるようになったが以後不思議な力はなくなったと言う話である。

“應無所住而生其心”とは「應に住する所無うして、其の心を生ずべし。」
六根六色の世界に迷い、地獄、餓鬼、修羅、畜生等の無慙愧世界を造ってはならず、何物にも執着することのない無念無心、無執着のはたらきが、本来の清浄なる心であるとの教えで、『金剛経』の骨髄になる一文です。

「おうむしょじゅうにしょうごしん」私もお唱えしてみますが、お婆さんのように不思議な力も、清浄なる心もまだまだのようです。
気持を切り替え作務に出るとします。

2010/06/09 松の剪定


先日へたくそながら庭師のまねをして、松の剪定をしました。 時間が掛かっているのをみかねてか、近所の方がお茶を差し入れして下さいました。ありがとうございました。

臨済宗のお寺には松がよく植えられています。これは臨済宗の宗祖、臨済慧照禅師が黄檗山で修行をしているときの逸話によります。 臨済禅師が作務で松を栽えていると、師の黄檗和尚が「こんな山奥にたくさんの松を栽えてどうするつもりか。」と問うと、臨済禅師は「一つには寺のために眺めをよくしようと思い、二つには後世の修行者のために道しるべにしようと思ってです。」と言い鍬で地面を三度たたいた。この謂れから禅寺には松がよく植わっているのです。そして臨済禅師の為人の行により今日の臨済宗があるのです。

この臨済禅師の語録が『臨済録』です。西田幾多郎博士は「すべての書物が焼けて灰になろうとも『臨済録』と『歎異抄』があれば他に本はいらない。」と言われたそうです。
古来行脚の雲水が投宿を願うとき、投宿先の寺の和尚が臨済録の序文を諳んじてみよと試したといわれます。私も一度試されたことがありますが、先輩雲水と一緒だったのでなんとか付いて読んだことを覚えています。

ここに序文を載せますので、皆さんにも親しんでいただきたいと思います。



鎮州臨済慧照禅師語録の序」
延康殿 の学士、金紫光禄大夫真定府路安撫使兼馬歩軍都総管兼知成徳軍府事馬防す。
黄檗山頭て痛棒に遭い、大愚肋下に方に築拳を解す。
饒舌の老婆、尿牀鬼子。這の風顚漢、再び虎鬚ず。
巌谷に松を栽う、後人の標榜。钁頭、地を掘る、んど活埋せらる。
箇の後生って、驀口自摑す。辞して机案いて、舌頭を坐断す。
是れ河南にあらずんば、便ち河北に帰せん。
院、古渡に臨んで、往来を運済し、要津把定して、壁立万仭
奪人奪境仙陀陶鋳し、三要三玄衲子鈐鎚す。
常に家舎に在って、途中を離れず。無位の真人、面門より出入す。
両堂斉しく喝す、賓主歴然照用同時、前後無し。
菱花、像に対し、虚谷、声を伝う。妙応無方にして、朕迹を留めず。
衣を払って南邁し、大名戻止す。興化師承して、東堂に迎え侍す。
銅瓶鉄鉢、室をい詞をず。
松老い雲閑かにして、曠然として自適す。
面壁未だ幾ばくならざるに、密付に終えなんとす。
正法誰か伝う、瞎驢辺に滅す。円覚老演、今、為に流通す。
点検しち来たれば、故差舛無し。
唯だ一喝を余して、尚商量せんことを要す。
具眼禅流わくばって挙すること無かれ。
宣和庚子、中秋の日、謹んで序す。

2010/05/31 庭園改修工事完了


3月11日より始まった庭園改修工事が5月14日に完了いたしました。
新たに敷き詰められた芝生も定着し、庭に緑を沿え新面目を湛えています。工事期間中にお寺へご参詣の皆様には何かとご迷惑をお掛けしました。
また事業にご理解ご協力をいただきました皆様に、心より感謝申しあげます。



安住寺の御本山であります南禅寺は、開山大明国師さまと亀山法皇さまとの奇しき因縁により離宮を禅寺として開創されました。しかし、大明国師さまはこの年に遷化され、実際に寺院の創建に当たられたのは31歳の若き南院国師さまでした。
南院国師さまは「搬土拽石」を基本の精神とされ、現在の南禅寺の基礎を築き上げられました

平成24年は南院国師さまの七百年大遠諱を迎えます。この報恩と授戒の大遠諱に安住寺からも多くの檀信徒様のご参加をお願いしております。

さて、安住寺は正元元年(1259)に創始され時代を経て、延宝年間(1673~81)に現在の地に再興されましたが、現在の伽藍を整えるまでには、まさに「搬土拽石」の精神があってのことと今更ながら感慨を持つものです。
なお庭園改修工事の状況は「檀信徒の皆様へ」に移管し保存します。

2010/05/23   あなたならどちらに目が行きますか?


先日お参りに向う途中のことでした、別府の上人ヶ浜で、国道から市道に入り踏み切り待ちをしていたところ、初老の散歩の女性が植え込みの中に手をかざしては自身の身体をさする動作を、長い踏み切り待ちの間ねんごろに繰り返していました。
不思議に思い帰りに車を止めて、女性が手をかざしていた植え込みの中を確認すると、そこにはお地蔵様が祀ってあった。

女性は、頭をさすり、手をさすり、足をさすり、全身くまなくさすっていました。おさすり地蔵と呼ばれ地蔵をさすり悪いところをなでると治るというお地蔵様もありますが、女性はこうして元気に散歩の出来ることに感謝し、まだまだ元気でいられるように全身をなで、我が身の健康を願っておられたのでしょうか。

お地蔵様は、お釈迦様の入滅後56億7000万年後に弥勒菩薩が現れ、衆生を救うまでの「無仏の時代」に衆生を救い悟りに導いて下さる菩薩とされています。 お地蔵様の功徳について説かれた『地蔵菩薩本願功徳経』には、お地蔵様を拝み供養すれば二十八種利益があるとしています。



○天龍護念 (天龍が保護してくれる)
○善果日増 (善果が日々増していく)
○集聖上因 (聖にして勝れた因が集まってくる)
○菩提不退 (悟りの境地から後退しない)
○衣食豊足 (衣・食に豊かに満ち足りる)
○疾疫不臨 (疫病にかからない)
○離水火災 (水難や火災を免れる)
○無盗賊厄 (盗賊による被害に遭わない)
○人見欽敬 (人々が敬意を払ってみてくれる)
○神鬼助持 (鬼神が助けてくれる)
○女転男身 (女性から男性になれる)*これは男尊女卑に対してのものらしい。
○為王臣女 (王や大臣の令嬢になれる)
○端正相好 (端正な容貌に恵まれる)
○多生天上 (何度も天上に生まれ変わる)
○或為帝王 (あるいは帝王になる)
○宿智命通 (運命・宿運を知る智慧を持つ)
○有求皆従 (求めがあれば皆が従ってくれる)
○眷属歓楽 (眷属が喜び楽しんでくれる)
○諸横消滅 (諸々の理不尽なことが消滅していく)
○業道永除 (苦楽の業が永久に除かれる)
○去処盡通 (赴く場所にうまくいく)
○夜夢安楽 (夜は夢が楽しめる)
○先亡離苦 (先祖が苦しみから解放される)
○宿福受生 (幸福になる運命の人生を授かる)
○諸聖讃歎 (諸聖人が讃えてくれる)
○聰明利根 (聡明で利発になる)
○饒慈愍心 (慈悲の心に溢れる)
○畢竟成佛 (必ず仏になる)

『地蔵菩薩本願功徳経』は偽経と言われますが、二十八種利益にあるようにお地蔵様に託す願いは様々です。
下の写真が女性がなでていたお地蔵様ですが、そこには有縁無縁各霊位菩提、昭和三十一年建立とある。五十年以上の月日が経った今も、このお地蔵様を拝む姿がある。
『地蔵菩薩本願功徳経』の教えもありがたいが、五十年前にお地蔵様を建立した方、そして今日拝んでいらっしゃる方、双方が宿す仏心がありがたいのではないでしょうか。

ところで、「どちらに目が行きますか?」とはこのお地蔵様のすぐ隣に、もう一枚の写真の像を置くお店があります。踏み切り待ちをし、女性の姿に気がつかなければ、これからもこの像に目が行っていたであろう私です。

                   

皆さんはどうでしょう。車窓から気がつけば、このお地蔵様に願いを託してみてはどうでしょう。

2010/05/11    屁~な話


先日面白い数字が出ていました。総務省統計局の試算によると、2020年までに結婚している家庭の奥さんで、夫の前でおならが出来る人の割合が現在より30%増えると、女性の平均寿命は現在の86.05歳から5.02ポイント延びて91.07歳になるとのこと。
一方その影響か、男性の平均寿命は現在の79.29歳から1.04ポイントマイナスの78.25歳となると発表した。
(※※一切このような試算は出ておりません。信用なさいませんようご注意下さい。※※)

こんなデタラメなお話をしましたのは、先日法事のお斎の席で私の隣にお座りになった男性が、面白いお話をして下さいました。
その方は、学校の校長先生をされていらした方で、背筋はスッと伸び、お酒も嗜まれ、お話も流暢。
一見したところ70代半ばにお見受けしたのですが、伺えば89歳になるとのことでビックリ!
さっそく若さの秘訣をお伺いしましたところ、若々しく長生きするために「天海僧正の養生訓」を守っているとのこと。天海僧正とは、徳川家康から家光まで三代にわたり参謀を務めた人物で、108歳まで生きたといわれる。さてその養生訓とは、
「長命は粗食、正直、日湯、陀羅尼、おりおり御下風あそばされかし」*御下風=おなら

杵築の方言で言うなら
「長生きしとかっちから、あんまりうめぇ~もん食わんじ、正直じ、めぇー日風呂入っち、てー合わしちお経あげち、時々屁~こかなつまらんで」
と言うことでしょうか。。

世の女性は、慎み深く、しとやかで、何時までも恥じらいを忘れない方ばかり。ご主人の前で御下風なんてとんでもないことでしょうが、少し気を緩めて「御下風あそばされ」ばもっと長生きできるかもしれませんね。
「屁~な話」はここまで。

養生訓の一番にあげられる「粗食」は大切ですね。修行生活を思い出し、久しぶりに朝粥を炊いて頂きました。

      

禅宗では食事の前に「五観の偈」をお唱えします。

「五観の偈」
には、多少来処る。
(いただくこの食事は、多くの方々の苦労によって食卓にはこばれます。
そのことを深く感謝していただきます。)

には、徳行全欠をはかって、ず。
(この食事をいただく資格があるかどうか、自らの行いを深く省みて食事をします。)

には、ぎ、過貪等るるをとす。
(この食事をいただくにあたり、心を正し過ちを犯さず欲を離れることを、第一とします。)

には、良薬とするは、形枯ぜんがなり。
(この食事は、私たちの健康な身体を維持するための良薬として頂くのであります。)

には、道業ぜんがにこのくべし。
(この食事は、仏道を成就する為にいただくものであり、いただく命に感謝していただきます。)

今や食べるもは簡単に手に入り、余れば捨ててしまう。その影にある苦労やいただいている命に対して、心を向けながら食事をしている人がどれほどいるでしょうか。「五観の偈」唱え意味をよく考えてみて下さい。自然に美味飽食を避け、粗食に向うのではないでしょうか。そして長寿をいただける。そんなふうに思います。

2010/05/07   ホッとしてる人多いかな(^^)


ゴールデンウィークも終わり、帰省や家族サービス、子供の世話から開放されホッとしている方も多いのではないでしょうか。疲れを溜めたまま仕事で、お疲れの方もあるでしょう。

杵築市内では3・4・5日と様々な催しがありました。3日「ツールド国東」3.4日に「やまが温泉えびね祭り」4日弘法大師を祀っての「おせったい」4.5日杵築青年会議所や商工会の皆様と市民による「きつきお城祭り」と盛りだくさんでした。

         
       ツールド国東              お城祭り          お城祭り「花魁道中」

そんな中、5日「こどもの日」の新聞に、15歳未満の子供の数は前年比19万人減の1694万人で29年連続減、総人口にしめる割合は、36年連続低下の13.3%で世界最低水準との人口推計が総務省から発表された。

戦後の出生増加で産れた団塊の世代。その団塊の世代から産れた第二次ベビーブーム世代(私もこの世代)。そして第二次ベビーブーム世代から産れた「第三次ベビーブーム世代」とグラフが波打つといいのですが、近年右肩下がりの一途をたどる。
同世代の仲間は今何をしているのでしょうか?同級生を探しても地元にはまばら。仕事で都会に出て、わが世の春を楽しんでいるのでしょうか。それならいいが景気の波に呑まれ、自分の生活に精一杯の人もいるのではないか・・・。

そんな時代にありながら、地元の同級生には子供が4人5人のところもある。その上このゴールデンウィークの催しの中心になって、地域を盛り上げ明るくしようと頑張っている仲間。本当にありがたいものです。杵築JCの皆さんご苦労様です。

私も「お城祭り」を楽しませていただきました。歩いていると剣道の後輩になる佐藤君に遭遇。現在6年生で杵築少剣のキャプテンで頑張っています。優しい頑張り屋なのできっと素晴しい成長をしてくれると思います。
  
この連休は好天に恵まれ、子供たちも沢山出ていました。お祭り催しを通じて、杵築を愛し故郷を大切にする心を育んで欲しいです。
来年の連休も、もっと賑やかに催しが開かれればと祈っています。

2010/05/04    集いの力


昨日は親友の御長男の初節句にお招きをいただき、武蔵町まで出かけてきました。
帰りの車窓から、ツール・ド・国東に参加されている方々の奮闘ぶりが目に映り、手持ちのカメラで撮影。並走した際に、参加者たちの息遣い、ペダルを踏む音、車輪チェーンの音が間近で聞こえ躍動感が伝わってきました。

         

今朝の大分合同新聞によると、32都道府県から5~77歳の3023人が参加し、160キロ、115キロ、60キロ、30キロの4コースに分かれ、国東半島を駆け抜けたそうです。(参加者は過去最高)

雲納輻輳という言葉があります。これは修業道場の玄関に立て看板し、修行者が道場に入門してよい時期を示すものです。輻輳とは、方々から人や物が一箇所に集まることです。修行という一つの目標のため道場に集う。そして仲間の力を借り「芋洗いの修行」をし、集いの力を実感するのです。

昨日は、親友の御長男の初節句のお祝いにと、60名近い方がお集まりになりました。親友両家の輪、職場仲間の輪、多くの方が集い大きな輪になりました。友人も、こんなにも大きく、たくさんの車輪に支えられ、家族をまとめていく舵取りが出来るのだと、羨ましくも嬉しくもありました。
「法輪転ずるところ食輪転ず」と禅宗ではよく言います。これは仏法を学び、実践し、広めていくことに努めていれば、食べていくこと(実生活)は何とかなるもんだという教えです。実生活での法輪とは何でしょう。
自らを支えて下さっている縁の方々を大切にし、感謝する。そして、その恩徳に報いる生活をすることではないでしょうか。
人付き合いも、冠婚葬祭も益々簡素化の傾向がありますが、次世代に続く大切な縁は守っていくべきではないでしょうか。その実践が、実生活を心豊かに輝くものにしてくれると思っています。

    

2010/04/28    春季無縁供養・説教会。


26、27日に春季無縁供養説教会を行いました。長らくの天候不順でどうなることかと心配しましたが26日はうす曇り、26日夜から激しい雨が降り始めましたが、27日の合掌会総会前にはぴたっと止んで、春の光の射す好天のなか無事に法要をお勤めできました。

さて、今年の説教会にお越し頂いた布教師様は、神戸市長田区・長福寺御住職様の原田大胤(たいいん)和尚様です。

         

和尚様は、平成7年1月17日の阪神淡路大震災で自らが経験されたお話や、1890年9月16日夜、トルコの軍艦エルトゥールル号が、明治天皇に親書と勲章を奉呈して帰国途中、和歌山県串本町沖で暴風雨に遭い沈没。600人余りの乗組員が遭難しました。そのうちの一人が紀伊大島の灯台に難を逃れ、燈台守に何とか遭難の事情を説明し、多くの島民の救助により69人のトルコ船乗組員が救助されました。

そして、大島の皆さんの献身的な救助の精神が、後のイランイラク戦争でイランに残された日本人216人の救出に、トルコ航空機がテヘラン空港から日本人を救ったということにつながったと言う。エルトゥールル号乗組員救助の感謝の気持ちが、かたちを変えて日本人救出という縁を結んだ。「情けは人の為ならず」です。
私たちは、助けられ、支えられ、生かされている。その多くの仏の慈悲に感謝し、自らが功徳を積む縁を結びましょうとお話下さいました。
二日目は合掌会の方が多くいらしたので、母の恩のお話をして下さいました。

26日には合掌会の総会が行われ130名近い会員様に出席を頂きました。

      

今回の総会は、役員交代となり新役員さんの承認、行事報告、会計報告等があり承認されました。
会はスムーズにはこび、その後の昼食時間は久しぶりに顔を合わせた仲間の皆さんで楽しく会話がはずんでいました。

         

さて、今年の無縁供養説教会も無事に執り行えました。総代様、また地区の世話人様方に、卒塔婆や無縁供養のとりまとめを事前にしていただいたことによるもので、心から感謝いたします。
よく 「おっさん,塔婆供養は何本しちからいんかぇ?」と尋ねられますが、ご先祖の供養と、お寺の護持の為とお考え頂いて「いっぱいしちょくれ!」と来年からはお答えします。
大変なのは塔婆を読む住職です。(写真上)
どうぞ来年もご協力お願いいたします。

2010/04/24    やっと晴れたな~。


「雨雨降れ降れ母さんが蛇の目でお迎え嬉しいな」長いこと雨が続きました。今朝はようやく晴れました。皆さん待ち望んだことでしょう。雨続きで気分も滅入っていましたが、うちの子供は歌のように雨でも楽しく保育園に通ってくれました。

         

先日の大分合同新聞に、日本気象台大分事業所の報告として、4月中旬(11~20日)の日照時間は33.9時間。平年の59.9時間の56%で1976年以降最も少ないとのこと。降水量は109ミリで観測以来5番目の多雨。等々、農業事業者には厳しい天候です。大手スーパーなどでは規格外生産物の割安販売を始めました。

『二人行く一人は濡れぬ時雨かな』と云う公案に参じた時期を思い出します。単純に考えれば一人は傘を差し、一人は傘を差していなかったのか。
禅問答はそんな単純なものではありません。同じ人生でも辛い苦しいと嘆いて生きるのか、それとも辛く苦しくても、これもまたいい経験だと生きるのか、生き方は様々です。生きていれば、順境・逆境いろいろあります。その境涯をいかに生きるか、天候不良のここ最近のように天候も悪い、経済状況も悪い、政治も・・・・。誰かのせいにしたくもなります。

禅では「生きたまま一度死にきれ」と言われます。自己を徹底的に否定して、自我を捨てて新たな自分で生きてみる。修行したからといって簡単にできることではありません。「我」というやつは厄介なものです。

難しい話はなしにして、やまない雨はない。明けない夜もない。今日の朝ばれのように気分一新いきましょう。

2010/04/14     庭園工事着々と


         

裏庭園の工事も着々と進んでおります。
お寺にお参り頂いた方には、なにぶんご迷惑をお掛けしておりますこと、お詫び申しあげます。

ところで、写真中央の大きな築石は、市内東下司地区の工藤康子様より寄贈されました築石です。(他数個の築石も)
ここにご報告し、心から感謝申しあげます。

私が修行しました、岐阜の永保寺に対する山腹に坐禅石がありました。この坐禅石で開山夢想国師が専一に夜坐をされたと言われ、次の詩を詠まれております。
「頼むぞよ もしもまどろむ暇あらば 吹きおどろかせ 峰の松風」
夢想国師様の専一な坐禅の姿が思い浮かびます。時々私もこの坐禅石に一人で登り、考え事をした覚えがあります。

今回の庭園工事で、安住寺の裏庭にも坐禅石を据え付ければ、何百年か後には開山様が修行された坐禅石!となるのでしょうか・・・

         

調べていて分かったのですが、岐阜県の県花は「れんげ草」だそうです。写真は先日散歩の折に、近所の田んぼで撮影したものです。とても綺麗に咲いていました。子供の時分、れんげを摘みに行った記憶が在りますが、寂しいことに今では田んぼで遊ぶ子供の姿は見ません。
「れんげ草」の花言葉は「心が和らぐ」「私の苦しみを和らげる」「幸福」といった意味があるそうです。

2010/04/09 「花まつり」講演会


昨日は「花まつり」。今朝の新聞にも各地で「花まつり」の催しがあったと報じていました。

杵築市仏教会でも城下町会館をお借りして、第14回「花まつり・公開講演会」を開催いたしました。
今年は宇佐市、教覚寺住職(浄土真宗本願寺派)豊の国、宇佐市熟塾頭であります平田崇英師を講師に招き「生涯の仕事」と題し講演を頂きました。

講演では蓮如上人の「ひとたび仏法をたしなみ候ふ人は、おほよう(大様・鷹揚)なれども、おどろきやすきなり」の言葉を紹介されながら、終始微笑みのたえない楽しい講演となりました。

今年は例年よりも多くの方が参加いただき、200名近くにのぼり会場一杯となりました。
終わりには城下町会館様のくじ引きがあり、思わぬ豪華商品を手にされたかたもありました。
充実した講演となり、参加の皆さんも「おほよう」な気持ちになれたことでしょう。

      

さて「花まつり」には、花御堂を作り誕生仏に甘茶を掛け、お釈迦様の誕生をお祝いいたします。これは、お釈迦が誕生された際に使った産湯が、九つの竜が天から注いだ清浄の水を、お使いになったという伝説に由来するものだそうです。

そういえば、2年ほど前に講演に来られた、医師で龍谷大学教授の田畑正久先生は
「私は年賀状を元旦に出しません。仏教徒ですから仏暦の元旦、4月8日花まつりの日に出します。
実は、こうすれば元旦に貰った年賀状にだけ、返信をすればいいので無駄がない」
なんて言ってたのを思い出します。

安住寺でも例年花御堂をつくりお祝いいたします。
今年は小学校の始業式が重なったこともあり、お寺に見えた子供も少なかったようです。来年は多くの方にお参りいただけるようにしたいです。

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2010/04/01 先輩にびっくり


昨日は、市内本庄の千光寺さまの、塔婆供養・説教会に随喜させていただきました。
二日前に千光寺和尚様にお会いしましたところ、私の修行道場の先輩であります、岐阜県山県市の蓮花寺、羽賀浩規和尚様が今回の布教に来山されると伺い、久しくお会いしておりませんでしたので驚き又懐かしい時間を過ごさせて頂きました。

一時間あまりのの法話で有りましたが、充実した内容に楽しく有意義に拝聴させていただきました。

         

蓮花寺和尚様のお話で、記憶に残るところを一つ紹介しますと、この年になればお腹も出て、メタボリック気味になる。そうすると、どうも身体がうまいこといかん。人間の心も「我」という脂肪がたまると厄介になる。

蓮花寺のあります岐阜県山県市では、この冬70cmの雪が4回。1m以上の雪が2回降ったそうで、大分に比べると、とても雪深いところ。

そんな雪の夜は雪が雑音を吸収して、とても静かだそうです。しかし時折「パカーン、パカーン」と樹木が雪に耐えきれずに、裂けて折れる音が響くそう。
和尚様曰く、堅くしなやかさのない樹は、雪の重さに耐え切れずに折れる。私たちの身体は、脂肪でメタボリックになれば体調不良をおこす。心が「我」という脂肪に包まれれば、気を病み悩み苦しむ。

しなやかな樹々が雪の重さを受け流すように、身体も心も大切なのは「柔軟(にゅうなん)」さであると仰っていました。心も身体も柔らかくしなやかに、逆境や苦労を受け流せる余裕が欲しいものです。その為に日々私たちは、心身を整えるように自己を見つめる必要があるのでしょう。

私個人の感想としては、寒い冬の床で、遠くに聞こえる樹々の裂け折れる音を、和尚様は我が身と樹と一体となって聞いていたんではないだろうかと、和尚様の〝天耳通〟に感心します。

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2010/03/027 つぼみ膨らむ


     

数日間の雨も上がり久々の好天になりました。
平成14年に須賀地区の渡邊浩行さんが、コツコツ竹を伐採して下さり、15年の頭に須賀、下司地区の有志の方々により、伐採した竹を焼き払った観音寺。その後、桜の苗木を数十本植えました。

昨日様子を見に行ったところ、ほとんどの樹に可愛いつぼみがありました。まだ遠目にはわかりませんが、満開になればほのかに桜色をおびてくれることと思います。楽しみにしてください。

皆さんもよくご存知の次の詩。唐代の詩人、劉希夷(651~680?)の詩です。
古人洛城の東に無く
今人た対す落花の風
年年歳歳花相似たり
歳歳年年人同じからず
す全盛の紅顔の子
れむべし 半死の白頭翁

人の世は移り変わる。油断していればすぐに白頭翁に・・・禅の教えは、即今・只今を精一杯生きることです。今も、この先も多くの人がこの桜を愛でてくれるとありがたいです。

写真左は観音寺の遠景。早く桜で彩ってもらいたいです。すぐに草刈の時期になります頑張らねば。
藤の川の桜園の様子も時季を見てお知らせします。

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2010/03/18 一字写経しませんか。


今日は彼岸の入りです。お寺でもなければ、特に何でもない一日になるのでしょうか。ここ数日は、墓地や庭、堂宇の掃除に汗しました。
藤原庭園工房さんの施工のもと、裏庭の池の改修も進んでいます。詳しくは庭園改修工事のほうで状況報告しています。

ところで、お彼岸によく「中道」のお話をします。簡単に言えば「ちょうどいい」ということでしょうか。
3月16日の大分合同新聞夕刊。1面には「光る技術、時代に対応」として、監視カメラや日照量・気温センサーなどで、農作物を管理するシステムが紹介されていました。耕作放棄地の解消のために、若者を新規就農させるため県の支援があるそう。
一方、3面には「自産自消」として、定年後に自らの手で、菜園生活をされている方を紹介していました。
楽な環境でなければ、就労者の無い農業。汗水流して作った、自らの作物を食べることを喜ぶ世代。「ちょうどいい」は何処にあるのでしょう。

何かの席で、農家の方に「一次産業は非常に厳しい!生産するだけでは食うちいけん時代だ」と伺いました。生産、商品化、販売(販路)すべてを備えた、第6次産業として取り組まなければ生活できないと・・・。

現在のように、一次産業から多くの業種に到るまで厳しい環境にある中、寺に生まれ父母の精進のおかげで、呑気に生活している自分が恥ずかしい思いがします。檀信徒の皆様の〝護法の念〟に、心から感謝いたします。

一次産業にかかわらず、都会でも田舎でも変わりなく混迷する時代。
安住寺の観音堂には〝一字写経〟が出来るように準備しております。お寺に足の遠い方も、忙しく慌しい毎日の心を、チョッとリセット「ちょうどいいに」しませんか。
多くの皆様が、安住寺に御参詣くださることを、願っております。

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2010/03/09 オオイタサンショウウオ発見!!(絶滅危惧種Ⅱ類)


裏庭園改修工事のため、住職が泉水の泥をさらっていたところ、オオイタサンショウウオを発見。
オオイタサンショウウオは、環境省のレッドデータブックで絶滅危惧種Ⅱ類に指定されています。
繁殖地は、大分、宮崎、熊本、高知の一部に生息し県内の生息地では、佐伯城山のオオイタサンショウウオは大分県天然記念物に指定。また大分市では「オオイタサンショウウオ及び生息地」を市天然記念物に指定するなどして保護しています。

繁殖期は2~3月らしく、発見した裏の泉水でも、傍らに卵らしきものがありました。

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2010/03/04 わが師・田中義峰老大師(虎渓山永保寺住職)


私の修行時代には、お二人の老師に御指導をいただきました。一人は現南禅寺管長・中村文峰老師。もう一方が写真の田中義峰老師(臨済会冊子「法光」より)であります。

師匠に対して大変失礼ですが、写真のままの、気の優しいお爺ちゃんといった印象を持たれるのではないでしょうか。実際も、物静かな優しい老師さまでした。

臨済会発行の『法光』第242号に(平成22年春彼岸号)、「無心に生きる」と<題して寄稿されておりましたのを拝読させていただきました。
そこには、老師の生い立ち、出家の因縁、若かりし頃釜崎・山谷で救済的活動を試みたことなど、初めて伺うことが書いてあり驚かされました。
その中に次のように書いてありました。

悲しいことに、非常に難しい問題ですが重い苦しみ、悩み、また寂しさに堪えかねて、自ら命を断つ人が、年間三万人以上おられる。戦後のあの何もない時代は、みんな親も子も生きていくのに精一杯でした。今、何故、こんなに心が病んでいるのか。その一番の原因は、文明社会となり、肉体は疲れないのに心と頭が疲れるように作られていることにあるように思います。これにどう対処していくべきか、これは我々禅僧の課題であります。

今日、仏教への関心は強い。一方批判はもっと強い。禅宗は「不立文字」といい「真理は言葉では語れない」といって指導しますが、これでは通用しない時代です。
このホームページも、安住寺を知っていただくとともに、こんな時代だからこそ何ができるか。老師の言われた自殺の問題、或いは社会問題にどう対処していくか、仏教の智慧、禅の教えを活かせないものかと、考えているところであります。

老師さまがよく言っておられました。「10代には10代の覚り(さと)、30代には30代の覚り、60代には60代の覚りがある。しっかりやりなさい」と。
あえて覚りの字を使ったのは、私が真理を悟ることではなく、即今・只今の自分の立場、生き方を知りなさいとの教えに解しているからであります。
老師さまは稿の最後をこう締めくくっております。

所詮、人生の旅は、死を迎えるまで修行の旅と思っております。

さあ、30代もど真ん中、この私はどう生きるべきか修行であります。
*臨済会発行の『法光』をお読みになりたい方は、安住寺観音堂の一字写経の机の脇に置いてありますので、ご自由にお持ち下さい。

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2010/02/27 閻魔様もニッコリ天国へ。


「輪廻」の考えで、人は死後に六道のいずれかに生まれ変わるとされています。六道とは、地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天道です。人が生をうけた瞬間を「生有」この世に生きている期間を「本有」命尽きる瞬間を「死有」そして六道のいずれかに生まれ変わるまでの四十九日の期間を「中有」中陰といい、七日ごとに追善の供養を営みます。

お参りに行くと色々な家庭があります。昨日伺ったお宅では、故人の可愛い三歳になるお孫さん(女の子)が、毎週「わたしも、おじいちゃんに、お経よむ」と、経本を手に三十分間一緒にお勤めしてくれています。
お経の合間に、供養塔婆を供え御霊具膳を備えようとした瞬間「おじいちゃん、いっぱいたべてね」と可愛らしいお孫さんの声が。こちらが嬉しくなり、今日はこの一言で立派な供養ができたなぁ~と、ありがたい気持ちになりました。

この日は五七日のお参りで、閻魔様を本尊にお迎えして裁きを受ける日ともなっています。恐い顔の閻魔様も、お孫さんの声を聞いてニッコリ「天国へどうぞ」言ったことでしょう。きーチャンありがとう。

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2010/02/21 豆腐から生まれち来たち。


雇用問題、就職難、婚活etc、先行きに困っている人たちがたくさんいらっしゃいます。
政治のせいでしょうか、経済破綻のせい。。。

昨日お参りに向かう車でラジオを聴いた。
大阪大学の教授らが学生に、就職し社会人になるにあたって次のようなことを話されたそうです。

社会情勢は厳しい時代にあります。就職するにあたり、自分には何が向いているのか、何ができるのか、どんな将来にしたいのか、と考えすぎて足踏みをしている人が多いようにあります。
しかし、考えすぎてばかりではダメ。まずは思い切って飛び込んで、精一杯夢中に目の前のことに取り組んで欲しいと。

大阪大学の学長と、同大科学の博士の対話講演だったのですが、まさにその通りですね。

ところで、先日伺った古庄豆腐屋さんに掛けてあった「豆腐の詩」を改めて紹介。

『豆腐の詩』

信仰は お豆腐のようになることです
豆腐は 煮られてもよし
焼かれてもよし 揚げられてもよし
生で冷奴で ご飯の菜によし
湯豆腐で一杯 酒のさかなによし
柔くて 老人 病人 のお気に入り
子供や 若い者からも 好かれる

男によし 女によし
貧乏人によし 金持ちによし
平民的であって 気品もあり
上流へも好かれる
行儀よく切って 吸物となり
精進料理によし
握りつぶして味噌汁の身となり
家庭料理に向く
四時 春夏秋冬 いつでも使われ
安価であって ご馳走の一つに数えられ
山間に都会に・・・・・ ドコでも歓迎せられる
貴顕や 外客の招宴にも 迎えられ
簡単なる学生の自炊生活にも 喜ばれる
女は特に 豆腐のようでなければいかぬ
徹した人は 豆腐の如く柔くて しかも形を崩さぬ
味がないようで 味があり
平凡に見えて 非凡

お豆腐屋の店主、古庄恭一さんを知る方がこんなことを言ってらっしゃいました。恭ちゃんはなぁ、真っ白い豆腐から生まれち来たような人なんじゃで。
精一杯夢中に豆腐を造ってこられた。豆腐一筋の方です。

禅の修行に行くと、バカになれ~バカになれ~と言われ、娑婆にいたときの生活、分別心を一切捨てるように鍛われます。
これから新たな出発をされる方に、豆腐のようになってもらいですね。

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2010/02/16 サラリーマン川柳


昨日ラジオで今年のサラリーマン川柳100選が紹介されていました。いくつか紹介します。

*「離さない!」 10年経つと 話さない

*コンカツは ロースか?フィレ?かと 父は聞き

*おかえりと 笑顔で言われ 身構える

*許される 仏は三度 妻一度

*70歳 オラの村では 青年部

ところでHPの充実は、遅々として進みませんがご了承下さい。

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2010/02/13 昨日は南禅寺派の和尚様方との会合でした。


忙しく考えがまとまりませんので「法句経」から一句。

得るところ少なきも
比丘(みちをもとむるもの)
そのうるところを
軽んぜずば
浄(きよ)く生き
おこたりなき彼を
諸々の神すらも
讃うるなり

何がなせたか、わからんような一日もあるもんです。焦らず騒がず悠々と。。
今日生きたことが自分の、また誰かの、貴重な一日になりますように。

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2010/02/7 ひいなめぐり・第二弾


今回は八娘(やっこ)さんと、とまやさんを訪ねました。
写真の上三枚は八娘さん。下三枚は、とまやさんです。

八娘さんは、本物の苔や植木の中にお雛様が飾ってあって、風情もあり面白かったです。お茶とお菓子もごちそうになりました。
一方、とまやさんは老舗のお茶屋さんだけあって、時代を感じさせるお雛様が並んでいました。

来月7日までの期間ですので、杵築市のひいなめぐりのマップにリンクしておきます。遠くの方も参考にして下さい。
第九回杵築市ひいなめぐりマップ1 マップ2

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2010/02/10 大学からの同窓会会報に


母校の大学から、同窓会会報が届きました。その中の古希を迎える大先輩の記事に、博多聖福寺におられた仙厓禅師の『老人六歌仙』の歌を紹介していました。

「皺(しわ)がよる 黒子(ほくろ)ができる 腰曲がる 頭はげる ひげ白くなる
手は震う 足はよろつく 歯は抜ける 耳は聞こえず 目は疎(うと)くなる
身に添うは 頭巾襟巻 杖眼鏡 たんぽ温石 尿瓶(しびん) 孫の手
聞きたがる 死にともながる 淋しがる 心は曲がる 欲深くなる
くどくなる 気短くなる 愚痴になる 出しゃばりたがる 世話焼きたがる
またしても 同じ話に 子を褒める 達者自慢に 人は嫌がる」

以前にも何度か聞いたことのある歌です。年齢によってこの歌をどう聞くかは様々でしょう。その大先輩は記事の最後に後期高齢者にかけ、「つい涙もろいのは古希高齢者の感傷でしょうか」としめくくっていました。

最近眉間のしわが気になっているのですが、いい歳をかさね、素敵なしわをつくりたいものです。

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2010/02/7 ひいなめぐり・養徳寺さんを訪ねました。


杵築藩主の菩提寺、養徳寺さんに朝一番に伺わせていて頂きました。

本堂一面に、お庫裏さん手作りの人形雛がディスプレイされていました。聞きましたら、一年間コツコツと作ってこられたそうで、細かい作業で苦労も多いそうです。

ディスプレイには2ヶ月近くかかったうえに、準備したお雛様の全てを、まだ飾り終えていないとのことです。子供たち2人も興奮気味で本堂中を走り回り、ご迷惑をお掛けしました。

写真のほかにも、沢山の可愛い手作り雛が飾られていました。是非皆さんもご覧になって下さい。

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2010/02/5 千光寺さんの大般若に出頭。


大勢の和尚様たちと、千光寺さんの大般若に出頭させていただきました。
なによりも、閑栖和尚様がお元気で法話されている姿に、こちらがパワーを頂きました。
本堂に、九州東教区報『はなその』第39号(正月号)があり拝見しました。
そこに修行道場の先輩である、大分、戸次の願行寺、入不二香道和尚様のお話が載っていました。
「妄想すること莫れ」を題に。端的には、何事も面倒くさがらずに一生懸命に生きよとのこと。かのマザーテレサは「雑用なんて言葉はないのよ。あなたが雑にやるから雑用なのよ」と引用されていました。
しかし、本日私はHPに何の記事を載せようかと雑念の塊でした・・・が幸い。何度も千光寺さんに伺っていましたのに、初めて本堂正面の額に『洗心』と掲げてあることに気づきました。あぁー今日はこの言葉を頂戴いたしました。
雑念を洗い妄想なく、改めて千光寺の檀家さんをはじめ全ての幸福を祈ります。「降伏一切大魔最勝成就」 このページのTopへ

2010/02/3 「仏教を学ぶ」更新しました。


今日は節分。恵方巻きの日ですね。
「恵方」は、陰陽道でその年の干支によって定められた最も良いとされる方角のことだそうで、今年は西南西だそうです。
言われは、メディアで散々言われているので省略しますが、海苔問屋さん、スーパー、コンビになど業界のCMのお陰ではやったんでしょう。
僧堂時代、節分の日に鬼に変装し、町内の家々をまわったのを思い出します。どのお宅でも「恵方巻」を準備してくださっていて、一晩に10本丸かぶりしたことがあります。正直辛かった10本は。。。

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2010/01/30 いよいよ開催


いよいよ来月より、城下町杵築散策と『ひいなめぐり』が開催されます。
市内あちこちで準備に追われる光景が見て取られます。開催期間は、2月6日(土)~3月7日(日)間です。

杵築にいながら、一度も拝見させていただいたことがありません。今年は下の娘も2歳になるので、連れて見に行こうと思います。
市外、県外の檀家の方にも『ひいなめぐり』の雰囲気が伝わるように、報告させていただきます。

!!とても吃驚ショックでした。見てください。!! このページのTopへ




2010/01/29 ふるさとの魅力・味更新しました


ホームセンターツチヤさん、綾部味噌屋さん、もろとみクリーニングさん、cafe笑食さん情報ありがとう御座いました。まだまだ縁のあるところを掲載させて頂きます。

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2010/01/28 庭園池改修工事

    



晋山式記念事業として、陰寮・宝物殿と改築してまいりました。壇信徒の皆様には、多大なる御協力を頂き心より感謝申し上げます。
さて、写真でご覧頂けますように池の石組み、底の状態が悪くなり、庫裏のほうへの水漏れがひどくなりました。継続事業として、庭園池護岸改修工事に2月中旬より取り掛かる予定となりました。
施工業者は、長らく庭園管理をして下さっています、別府市の藤原庭園工房さんにお願いしております。
工事の状況は、随時ホームページで御報告させて頂きます。

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2010/01/24 母(父)の恩


友人に待望の赤ちゃんが誕生しました。
里帰り出産から戻ってきたので、お祝いに伺いました。鼻から口にかけてはお父さん似。目はお母さん似かな?
とても可愛らしい赤ちゃんです。すくすく育ってください。

子供を生み育てるということは、本当に大変だと思います。自分自身子育てをしながら感じます。実際は母親や、おじいちゃん、おばあちゃんに任せっぱなしですが・・・(反省)
『仏説父母恩重経』というお経があります。これは、近年中国敦煌で発見されたものです。その中に、母(父)親には十種の恩があると説いています。

1懐胎守護(かいたいしゅご)の恩
母親が妊娠して十カ月の間というものは、胎児は外から生命を養う食物をとることができないので、胎児は母親の血を分け、その肉を食うように、母親の身体から直接に栄養をとる。そこで母親は重病にかかったように体がおとろえる。子供の身体は、こういうことがあって形をなしていくのである。

2臨産受苦(りんさんじゅく)の恩
月が満ち、いざ出産ということになると陣痛が始まり、身体中が痛み、その痛みの程度は、骨節がばらばらに解体してしまうほどで、精神は錯乱状態になって乱れ、時にはたちまちにして一命を落してしまうこともある。

3生子忘憂(しょうしぼうゆう)の恩
やがて出産が安らかに終われば、死んだものが再び生きかえったように、母は子の産声を聞いて安心し、母親自身もこの世に生まれ出たように感じる。

4乳哺養育(にゅうほよういく)の恩
初めて子供が生まれたときには、母親の顔は花のように美しいのに、子供を養って数年経つと、容色もすっかり衰えてしまう。

5廻乾就湿(えかんじゅしつ)の恩
水のようにつめたい霜の夜も、氷のように寒い雪の朝がたにも、母はジメジメと湿って汚れた所に寝て、乾いた快適な所へ子を置く。

6洗灌不浄(せんかんふじょう)の恩
子供が母親のふところに大便をしたり、またはその着物に小便をしても、母親は少しもそれをいとうことなく、自らの手で洗濯して清潔にする。

7嚥苦吐甘(えんくとかん)の恩
食物の味をまず口に味わい、子供に与えるときには、うまくないものは自分で食べ、うまいものはすすんで子供に与える。

8為造悪業(いぞうあくごう)の恩
わが子のために止むにやまれず道をふみはずし、罪を犯しその報いを受けても、子のために親はそれをもいとわない。

9遠行憶念(おんぎょうおくねん)の恩
わが子が遠く旅立つならば、無事に帰ってきて、その元気な顔をみるまではわが家から出ても帰宅しても、旅のわが子に思いをめぐらし、寝てもさめても、いつも案じる。

10究竟憐愍(くきょうれんみん)の恩 親はこの世に生きている限り、切ないことはわが子の身に代わってやってやりたいと思うし、自分が死んだ後でもわが子をいつまでもあの世から護ってやりたいと願っているものである。

これらの恩徳によくよく報いなければならないと説いています。私も友人も共に、母に嫁に感謝の日々を送りたいと思います。
ところで、可愛い寝顔の横に置いてある、野球ボールの鈴。将来プロ野球選手になってもらいたいとの夢だそうです。どこの親も、やっぱり親バカみたい。。夢が叶うように祈っています。

『父母恩重経』を読む

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2010/01/22 念願の安住寺HP立ち上げ。


市外県外の檀家の数も増えてきました。その一方で、市内の檀家の数は減る傾向にあります。そんな中、市外県外の檀家のかたがたにも、ふるさとの菩提寺の活動、状況を知っていただきたくホームページの開設にいたりました。

準備期間一年以上を費やし、ようやく本日殻を破りヒナになりました。まったくの知識ゼロから、すべて手作りですので見づらい点があるかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

独りよがりのページにならないように「手をたずさえてともに行く。利生の悲願」をスローガンに運営していきたいと思います。

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2010/01/21 写経写仏の会


今年初めての会が、8名の参加でおこなわれました。大寒の翌日ですが、昨日に続き暖かい日となりました。

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平成22年1月17日・大般若法要、観音講


今年も1月17日に大般若祈祷法要並びに、観音講が114名のお参りの中、無事営む事ができました。

法要に続いて住職の法話。


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2010/0107 御詠歌稽古始め


御詠歌の稽古始めがありました。

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臨済宗南禅寺派・安住寺
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