境 内 散 策
背景は安住寺全景の空中写真。
空から見た安住寺
書院と春の庭園
開山堂と庭園
安住寺 本堂
正元元年(1259)鎌倉時代、木付初代親重公の創始になり、2月18日洛東の東福寺より 「聖一国師円爾弁円大和尚を勧請し開山の式を挙げ、この寺の「開祖」とした。また安岐郷の金胎興竜蜜寺、仏山正眼和尚を住持とした。 寺は、木付氏累代の菩提寺であったが、木付氏の滅亡後再度の火災にあい、現在の本堂は平成5年(1993)に改築された。
『大日本寺院総覧』によると、寺はもと南台の東南端八坂川を見下ろす断崖の上にあったという。また、 「古昔神人庭前の石上に踞して河中の亀を釣った」といわれ、このことから山号を釣鼇山(ちょうごうざん)と称した。 その後兵火によって焼失し、文禄2年(1593)大友氏に殉じて木付氏は亡び、寺も極度に衰微した。 しかし松平氏入部後、延宝年間(1673~81)に現在地に再興され、三室和尚をもって中興の祖としている。
開山堂
開山堂は村上天心の監督によって建立された。天心堂脇の天心居士の碑銘に「昭和の年初、篤信家山田直治氏、開山彫像用桧材の寄進あり。
其一部を当山開山堂の天井用材とし、之に円龍を揮毫す。
同3年、植木文蔵氏、特志を以って開山堂建立に着手、居士亦工事の監督にあたり翌年春竣成、「壁画、天井内外木額等、凡て居士の特作なり。 開山、開基及14世の彫像に至りては、居士の畢生の大作にして実に国宝的重宝なり。」とある。 開山堂内部