村上天心居士
村上天心居士は、伊予宇和島のご出身で明治41年頃、安住寺第14世・綾部玄道和尚とのふとした縁により、当寺に来遊し、城下町杵築に寄寓することとなり、人間味溢れるエピソードと、数々の作品を遺しました。 居士は、明治10年宇和島市の豆腐屋に生れましたが、幼くして父親と死別しています。しかし、彼の非凡な才能を見抜いた母親は、可能な限りの学問的機会をとらえ、書画、彫刻、漢学、仏学の師に学ばせています。彼も天性の資質を如何なく発揮し、それからどの師をも驚嘆させるほどの上達を示したそうです。小学校は「行っても学ぶ事がない」と、ほとんど行かなかったといいます。青年期は各地を遊学し、絵画、彫刻、建築など、芸術、文学全般にわたり探求し、その道を究めています。24歳の時『小楠公奮戦の図』を「帝展」に出品し、新聞に掲載されるなどして世間の注目を集めました。その騒動から逃れることと、母親の湯治のため別府に来た事が、当寺との関わりを持つきっかけとなりまた。
村上天心略譜
- 明治10年 宇和島市須賀道りに生まる 幼名孝義という
- 14年 4歳 百人一首を暗誦
- 16年 6歳 吉田町 飯淵櫟堂に書・文人画を学ぶ
- 20年 10歳 大隆寺の韜谷老師について禅学を学ぶ
- 21年 11歳 卯之町 白井雨山に彫刻を学ぶ
- 28年 18歳 葛野空庵に仏典・漢籍を学ぶ
- 30年 前後 雪舟・北斎・狩野・土佐・四条各派の技法を独修
- 34年 24歳 六曲一双「小楠公奮戦図」揮毫
- 41年 31歳 母堂と別府に湯治の際、杵築に訪遊す
- 42年 頃 東宇和郡明浜町に寄寓(数年)
- 44年 34歳 宇和島市西江寺十王像工修成る
- 45年 35歳 京都に遊び妙心寺山内 聖沢院にて揮毫
- 大正 3年 37歳 杵築に転住、綾部家などに寄寓
- 4年 38歳 母堂逝去 以後3年間服喪
- 8年 42歳 安住寺の開山・開基・14世像・天井龍・壁画等制作着手
- 10年 44歳 安住寺絹本釈迦三尊像完成
- 12年 46歳 「放江集」出版
- 昭和 2年 50歳 杵築町 佐野秀子氏別邸に入る(20年間在住)
- 4年 52歳 居士の監督により安住寺開山堂竣工
- 13年 61歳 天心堂完成
- 15年 63歳 西江寺の閻魔・阿修羅・地蔵菩薩大画像揮毫
- 23年 71歳 天心堂に移り住む
- 26年 74歳 天心居士碑建つ
- 27年 75歳 病床に臥す
- 28年 76歳 10月22日逝去・安住寺墓地に葬る